「ベルギーまで何しに来たの?」という雰囲気
2017年に出場したU−20ワールドカップではラウンド16のベネズエラ戦でコーナーキックの競り合いに敗れ、決勝ゴールを献上する。シント=トロイデン移籍後も不遇の時期を過ごしている。その直前、2017年シーズンの終盤に疲労骨折を負っており、加入してから約3か月、リハビリに費やさなければならなかったのだ。
「移籍してきたのに最初からずっとリハビリしているわけだから、『何しに来たの?』という雰囲気はもちろんあったし、当時は英語も喋れなかったので、キツかったです」
だが、その間に筋力トレーニングを行ない、肉体改造に励むと、2018年7月に開幕した新シーズンからレギュラーポジションを掴み取る。朗報が届いたのは、その約1か月後のことだった。森保一監督が就任した新生日本代表の初陣のメンバーに選出されたのだ。
「もともとかなりネガティブなんです」
1998年生まれの冨安は、アンダーの代表時代からの盟友で、同級生の堂安律とともに、22歳以下(来年は23歳以下)の東京五輪代表の資格を有している。彼らふたりが来年の東京五輪で、チームの中心になるのは間違いない。
もっとも、堂安が自信満々で、常にポジティブであるのと対照的に、冨安は「僕はかなりネガティブなほうです。不安は、常にありますね」と自己分析する。
しかし、だからこそ不安を払拭するために練習に打ち込む。シント=トロイデンではコンディショニングコーチに自主練習を制限されるほどストイックだが、その姿は代表でも変わらない。空中戦に不安のあったサウジアラビア戦の前には練習後に斉藤俊秀コーチを捕まえてヘディングの練習に取り組んだ。準決勝のイラン戦でアズムンを封殺したのは、その成果でもあったのだ。
「頼もしい」吉田麻也も権田修一も称賛
そんな20歳のセンターバックに、先輩たちも称賛を惜しまない。
コンビを組むキャプテンの吉田麻也が「難しい局面でもうまく処理する。プレーにソツがない。20歳でそれができるのは凄いこと」と称えれば、GK権田修一も「若いとか、20歳だとかを感じさせない。普通に、頼もしいCBが前にいるという感じ」と感嘆する。
8年前の2011年、日本代表はアルベルト・ザッケローニ監督のもと、カタールで開催されたアジアカップで優勝した。このとき、スタメンに大抜擢された当時22歳の吉田はその後、先輩のサポートと助言を受けながら、主力選手へと成長を遂げた。
あのときの吉田と同じように、冨安にとっても今大会は、日本を代表するセンターバックになるための大きな一歩になるはずだ。