その評価は、まさにうなぎのぼりだ。

 アジアカップで奮闘中の20歳のセンターバック、冨安健洋のことである。

「ヨシダの隣の若者は何者ですか?」

 イランと並んで優勝候補の日本の試合には、各国のメディアが詰めかけている。なかでも多いのが韓国人記者と中国人記者だが、大会が進むに連れて、彼らからこんな質問を受ける回数が増えた。

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「ヨシダの隣でプレーする若者は、いったい何者ですか?」

 ロシア・ワールドカップに出場していたわけでもない。アジア・チャンピオンズリーグやJリーグで目立った活躍をしていたわけでもない。

 それなのに、ラウンド16のサウジアラビア戦ではアジア屈指のスピードスター、ファハド・アルムワッラドをピッチ上から消し去ったばかりではなく、コーナーキックから決勝ゴールまで奪ってみせた。

 さらに、イランとの準決勝ではアジア最高峰のストライカー、サルダル・アズムンまで封じ込めてしまったのだ。外国人記者からすれば、突如、現れた新星――。そんな印象を抱いたのかもしれない。

 だが、それも当然のことだ。なにせ、日本国内でも決して有名だったわけではないのだから。

準決勝でイラン代表のエース・アズムンをシャットアウトした冨安健洋 ©getty

「アジアの壁」井原正巳の薫陶

 中学時代にアビスパ福岡の門をたたき、高校2年で天皇杯に出場した。高校3年時にプロ契約を結び、晴れてトップチームの一員となっている。ちなみに、高校生Jリーガーの誕生は、アビスパ史上初めてのことだった。

 当時、アビスパを率いていたのは、井原正巳監督である。「アジアの壁」と称され、日本を代表するセンターバックの指導を10代で受けられたのは、何物にも代えがたい財産になったはずだ。実際、冨安自身もこう話している。

「ゴール前で身体を張れ、気持ちでは絶対に負けるな、と井原さんに言われてきました。それは今でも自分のプレーに生きています」

 プロ2年目(高卒1年目)の2017年には35試合に出場した。ただし、アビスパは前年にJ2に降格したため、これはJ2での記録。日本で有名ではない理由のひとつがここにある。

決勝トーナメント、サウジアラビア戦で柴崎岳のCKをヘディングで叩き込んだ ©getty

 もっとも、知名度の低さというのは、世間一般の話。身長188cmと長身で、おまけにボールを運ぶ技術やフィード力も備えた世界規格のセンターバックとして、サッカー界では、早くから注目を集めていた。

 アンダー世代の日本代表にも15歳の頃から選ばれ、数々の国際試合を経験している。なかでも貴重な経験となったのが、2015年秋のイングランド遠征だった。冨安は今でもその衝撃を忘れていない。

「高2のときにイングランドと対戦して1−5とボロ負けしたんです。そのときに、あまりにも違いを感じて。それが、海外に出て成長したいと思った一番のきっかけですね。もちろん、まだ高2だったので、すぐに行けるとは思ってなかったですけど」

 その翌年、プロ契約を結んだ冨安は、アビスパでの2年目を終えた2018年1月、ベルギーのシント=トロイデンへの移籍を掴み取った。

 こうして辿ると、日のあたる場所を歩いてきたエリートで、キャリアは順風満帆そのものだが、挫折がないわけではない。