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大洋ホエールズ球団歌『行くぞ大洋』生みの親、三鷹淳さんに会いに(前編)

文春野球コラム オープン戦2019

2019/02/13

 ベイスターズの球団歌といえば『熱き星たちよ』である。親会社が変わった2012年、「もしやこの曲ともサヨナラか……」とファンは気をもんだが、歌詞の球団名部分を「DeNAベイスターズ」にマイナーチェンジして無事受け継がれた。ハマスタのライトスタンドから「♪オゥ オゥ ウォウ ウォウ」の声が鳴り響くようになって今年ではや27年目を迎える。

 一方、大洋時代の球団歌は1977年に作られた『行くぞ大洋』。『六甲おろし』こと『阪神タイガースの歌』は戦前の1936年に作られ、巨人に至っては同じ1936年の『野球の王者』から現在の『闘魂こめて』まで3代にわたって球団歌が制定されているにもかかわらず(正式名称はすべて『巨人軍の歌』)、大洋の球団歌は川崎から横浜への移転計画が進められていた真っ只中にようやく誕生している。当時の12球団で最後に生まれた球団歌なのだ。

 そのホエールズ唯一の球団歌を歌っているのは「大洋ホエールズ選手・三鷹淳とチャッピーズ」。大洋ファンの多くはクレジットを見る度に「チャッピーズって?」と疑問符が浮かんだものだが、そのあたりも含め、作曲も担当した三鷹さんに制作当時の思い出を語って頂いた。三鷹さんは1934年生まれ。日本コロムビア所属の歌手、作曲家として長年活躍し、85歳のいまもボイストレーナーなど精力的に活動している。

『行くぞ大洋』と言えばこの方、三鷹淳さん。いまなお精力的に活動中

『行くぞ大洋』の制作秘話

「球団歌の話があったのが1976年の11月。最初は歌だけのつもりだったけど、担当者が“三鷹さん、せっかくだから曲も書いてよ”って。コロムビアには昔から古関裕而さんというたくさんの応援歌や行進曲を手掛けた作曲家がいて、『六甲おろし』も『闘魂こめて』も古関さんの曲。大洋側もおそらく古関さんに頼みたかったところ、予算の都合とかいろいろあったんでしょう。結局僕が両方やることになりました」

 古関裕而氏作曲の『闘魂こめて』は歌詞を一般公募する形で1963年に作られ、オリジナル版は1番が守屋浩、2番が三鷹さん、3番が若山彰という当時のコロムビア所属の男性歌手陣が歌っている。そう、三鷹さんは大洋の前に巨人の球団歌を歌っており、その実績もあって依頼が来たのだ。

1963年にソノシートで発売された『闘魂こめて』こと『巨人軍の歌』の初代盤は川上哲治、長嶋茂雄、王貞治の挨拶入り。一番右が三鷹さん。

「だから昔から知り合いの玉置宏さん(熱烈な大洋ファンで知られた名司会者)に言われましたよ。“三鷹さんには貞操観念がない!”って(笑)。あと、古関さんは他にもたくさんの社歌や校歌を作ったんだけど、僕はその歌唱を担う機会が多かった。それも大きかったでしょうね」

「♪行くぞ大洋 行くぞ大洋」で始まる歌詞を書いたのは能丸武氏。前年に制定されたセ・リーグ連盟歌『六つの星』と、次の連盟歌『ビクトリー』(1984年発売)を作詞した人物である。そこに三鷹さんが曲を書き、三鷹さんとチャッピーズ、選手が歌を吹き込んだ。レコーディングには福嶋久晃、伊藤勲、奥江英幸、平松政次、松原誠、さらには江尻亮、山下大輔、中塚政幸、野口善男、谷岡潔(漫画家・谷岡ヤスジのいとこ)の10選手が参加している。

「レコーディングで思い出すのは中塚選手。とにかく愉快な人で、何度も歌詞を間違えてはみんなを笑わせているの。平松さんはレコードも出しているから(筆者注・『愛してヨコハマ』など数曲ある)やっぱり歌がうまかったよね。あとチャッピーズというのは、劇団ひまわり所属の小学生の女の子たち。コーラス部分と、2~3番の間奏のシュプレヒコール“♪フレー フレー 大洋”を歌ってもらいました」

 レコードは村田英雄のイメージで作ったという球団讃歌『勝利花』 をB面に収録し、1977年開幕前の3月に発売。三鷹さんはチャッピーズと共に川崎球場のグラウンドに立ち、スタンドのファンにお披露目した事もある。

『行くぞ大洋』の初代盤。実際にこの10選手がレコーディングに参加した。

「初めて披露したのがよりによって巨人戦だったんです。昔の話とはいえ巨人の球団歌も歌っている手前、最初はバツが悪くてね。巨人と大洋の間で板挟みの気分でしたよ(笑)」