どんな人でも、理不尽としか思えない出来事、ただただ酷に感じるものごとに遭遇する。それを承知した上で、仕事上の知り合いから相次ぐ電話に接し、募ったのは「なんで?」「まさか」という思いだった。
昨日(2月12日)、競泳の池江璃花子が白血病であることを公表したと知り、それ以降の風景も、色合いも情感も、すべてが変わった。衝撃は、驚くほど大きかった。
今では日本競泳の主軸を担う池江の存在に目が向いたのは2014年のことだった。中学2年生だったこの年の4月に行われた日本選手権で3種目に出場、そのすべてで中学生としてただ一人、決勝に進んだのである。その活躍は瞠目に値した。以来、各大会での姿を見続けてきた。
41度もの記録更新、12の日本記録保持者
近年の活躍もあって、池江をすでに知る人も少なくはないだろうが、あらためて池江璃花子の存在を考える。選手としては、日本競泳の歴史を塗り替え、さらに更新する存在になる、それほど傑出したスイマーである。
池江の名は、高校1年生で出場したリオデジャネイロ五輪での活躍で、広く知れ渡ることになった。
日本競泳史上最多となる7種目、計12レースを泳ぎきったことが1つ。中でも、得意とする100mバタフライでは予選、準決勝、決勝と日本新記録をマーク、5位入賞。何よりも、初めての大舞台にもかかわらず、物怖じしない、溌剌とした姿が強い印象を残した。
以降、大会のたびに多くの種目に出場するタフさとともに、「泳ぐたびに」と言ってよいほどさまざまな種目で日本記録を更新する活躍を見せてきた。その数は41度、現在、保持している日本記録は個人種目だけで実に12を数える。驚くべき成績だ。
2019年に向けて語っていたこと
右肩上がりの足取りはとどまることを知らない。昨年のアジア大会では日本選手史上最多の6つの金メダルを獲得。さらに世界記録も現実のものとして捉えられるところにまでタイムを伸ばした。世界一になる日も遠くはないと感じさせるまでになっていたのである。
自由形のリレーあるいは4種目それぞれの選手によって行われるメドレーリレーのメンバーとしても、池江は欠かせない存在となっていた。2018年を素晴らしい1年で終えて、池江は言った。
「来年の春から大学生になるので、2019年が楽しみです」
その先には、2020年の東京五輪も視野に入っていた。2019年は、成績によってオリンピックの代表に内定するシーズンだったからだ。本人もそれを自覚し、2019年に臨もうとしていた。
そんな矢先に起きた出来事だった。