初場所で引退した元横綱稀勢の里の、いかにも「らしい」発言が、一部の大相撲ファンのあいだで小さな波紋を呼んだ。自身のロングインタビューでの、「力士にSNSはいらない」との主旨の言葉に、賛否両論が沸き起こったのだ。

「本当のファンががっかりする」

「やはりこの時代にちょんまげを結い、着物を着ている。相撲には神秘的な魅力がある。だから力士たちには他のスポーツとの違い、伝統文化ならではの敷居の高さを保ってほしい。ツイッターとかSNS(会員制交流サイト)を力士がやる意味が全く分からないし、ちゃらちゃらしたところは一切見せるものではない。本当のファンががっかりするだろうし、敷居が下がると相撲を見たいと思ってくれる人も少なくなる。自分の場合は余計なことを言わず、黙々と相撲を取っていても人気が出るという昭和の香りがする力士を育てたいと思っている」(Number972『横綱論。』より)

 これに対して相撲ファンの反応は、「SNSで力士の素顔を見て、そのギャップに驚いて相撲に興味を持ったのに」「SNSで相撲ファンになったら、本当の相撲ファンじゃないってこと?」「平成も終わるのに時代錯誤では」等々、疑問を呈すコメントが少なくなかった。

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 ファンに本物も偽物もない。

「本当のファン」との文言は、「土俵上での相撲だけを知る、従来の古いファン」と、文脈上あえて区別するための言葉でしかないだろう。

ファンレターに返事をする力士に親方は……

 力士の本分は、土俵上で熱い戦いを見せることにこそあるのは、誰もが異論のないところだろう。日々の苦しい稽古で心技体を磨き、本場所の土俵上でその成果を披露し、観客を魅了する。それが、ファンの応援や期待に応えることになる。まだSNSどころか携帯電話もなかった昭和の時代、ファンレターの返事をいそいそと書く力士が、親方に一喝されたことがあったと聞く。

「手紙を書く時間があるのなら、四股のひとつも踏め。明日の稽古のために1分1秒でも早く寝ろ。土俵でいい相撲を見せるのが一番の返事なんだぞ!」

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 常人は、日本の伝統文化である歌舞伎や大相撲の磨き抜かれた芸や技に感嘆し、敬意を払う。高い価値を見出し、それに見合った対価として、観客はけして安くはない料金を払う。手の届かない異次元の、唯一無二の貴重な存在に憧れ、「夢を買う」というところか。とりわけ大相撲は神事の側面を持ち、神秘的な部分は、何よりも大切な“ウリ”なのだ。冒頭の稀勢の里のいわんとすることは、「だからこそ、力士としての矜恃を大切にしてほしい。度を超えた親しみやすさは、大相撲という世界にはそぐわない」との意味と解釈する。血と汗と涙を流しながら戦う男たちの魅力は、「可愛い♪」「おもしろ~い(笑)」の対極にあってほしいのだ、と。