ゴーンに媚びた「チルドレン」
バブル崩壊後、日産は一気に坂を転がり落ちた。とどめを刺したのが1997年に本格化した「日本版金融ビッグバン」だ。メインバンクの日本興業銀行自体が行き詰まり、日産の支援どころではなくなった。日産の倒産は秒読み段階に突入した。
そして倒産寸前の日産を救ったのが、フランス・ルノーからの出資だった。ルノーから送り込まれたゴーンは日産再生のための中期経営改革「リバイバルプラン」を展開。「聖域なきリストラ」を断行し、日産を見事に再生させたのだ。
しかし、経営数字のマジックの影で、ゴーンはイエスマンを寵愛し、意見をする部下を切り捨てて行った。ルノーとの提携契約も、ゴーンに都合の良いように歪められていった。ゴーンは自身の戦略ミスの責任を配下に押し付け、自分は逃げるようになっていた。有価証券報告書への虚偽記載に手を染め、特別背任容疑につながる会社の私物化も進め、堕落した経営者になっていた。日産社内は不公平人事がまかり通り、過剰なコスト削減によって現場は疲弊。社内に不満が募った。
そんな中、多くの日本人取締役・執行役員は、ゴーンの暴走を止められなかった。あるいは地位を賭してでもゴーンに対峙しようという気概を持てなかった。そればかりか、暴走するゴーンに媚びることでチルドレンとなり、地位を得た者さえいるのである。
日本の自動車産業は生き残れるのか?
自動車メーカーは国民経済を象徴してきた。日本でトヨタや日産を知らない人はいない。同様にフランスでルノーを知らない人はいない。国家に莫大な富をもたらす産業だったがゆえ、自動車産業は「経済ナショナリズム」を煽る。日産がルノーやゴーンに食い物にされていると、憤りを感じている国民も多いだろう。
どこの国でも自動車メーカーは政治と近い。日産の創業者、鮎川義介は岸信介内閣で顧問を務めた。トヨタの社長を務めた奥田碩は、小泉純一郎首相と一時は盟友関係にあった。ベトナム戦争時の米国防長官、ロバート・マクナマラはフォード出身だった。
しかし、自動車産業が経済の「花形」である時代は、そう長くは続かないのではないかと筆者は危惧している。自動運転や、車同士の双方向通信で渋滞や事故を防ぐ技術が劇的に進化し、「クルマのスマホ化」が進んでいる。配車サービスも普及し、そもそもクルマを保有したくない人も増え始めている。
グーグルやアップルなどIT業界の巨人が参入し、それに合わせてクルマの設計から販売まで、すべてが変わろうとしている。このまま栄華を維持できるのか、転落してIT企業の下請けになるのか、いま自動車産業そのものが岐路に立たされているのだ。
「100年に1度」と言われる大変革期を迎え、世界ではどのようなレジームチェンジンジが仕掛けられようとしているのか。電気自動車(EV)やサイバーセキュリティの世界標準の覇権をかけた米中2大強国の暗闘も見逃せない。
大変革期の中で起こった「ゴーン・ショック」の意味を、深く掘り下げてみよう。
※『日産vs.ゴーン 支配と暗闘の20年』(文春新書)内の〈はじめに 独裁とクーデターの歴史から〉より。同書は、「日産・ルノー提携」の特ダネを1999年にスクープして以来、カルロス・ゴーンを見つめてきたジャーナリストが、その栄光と墜落の軌跡、そして日産社内の権力闘争の実態をあますところなく描いた経済ノンフィクション。