「数字はうそをつかないが、うそつきが数字を使う」
統計不正問題で言えば毎日新聞の一面コラム「余録」は早々と次のように書いていた。
《米経済学者のランズバーグは「数字はうそをつかないが、うそつきが数字を使う」のだという。》(1月25日)
この一行で十分。古今東西のどんな言葉やエピソードを自身の引き出しから持ってくるか。コラム担当者の「データ」が問われる。
3月1日の日経「春秋」は、不調に終わった米朝首脳会談のトランプ米大統領と北朝鮮の金正恩委員長について。
《協議は続けると強調しているが、内政を浮揚させる手段に外交を利用しようとする姿勢では足元を見られる。》
あれ? 似たようなのどこかで見たぞ……。すると、
《その米朝以上に、難路にあるのが安倍首相が二十数回会っているロシア大統領との交渉だろうか。》
2回会っても進展しなかったと大騒ぎだが、プーチンと25回会っても進展しない国はどうなんだ。思わず気づく流れ。
「ノーベル平和賞ネタ」を朝毎コラムはどう料理したか?
さて、最近で各紙コラムが張り切ったのは「安倍首相がノーベル平和賞の候補にトランプ米大統領を推薦」したらしいというあの話題だ。
毎日新聞「余録」は、古代ローマの皇帝ネロのエピソードを持ってきた。ネロは自分を「竪琴と歌の名手」だと信じていたが歴史書では「声は小さく、しわがれていた」と書かれていた。つまり名手ではなかった。
《しかし皇帝とあらば「神の声を聞きたい」とへつらう人も出てくる。ギリシャの属州が竪琴奏者の栄冠をネロに贈ると「ギリシャ人だけが音楽を聴く耳を持つ」とご機嫌だった。》(2月19日)
なんか、オチが見えてきたぞ。
やはり後半はトランプ演説の安倍首相推薦話を出して
《「日本人だけが聞く耳を持つ」と言われた気分だが、》
《「皇帝」へのへつらいを史書がどう記すのかを想像すれば顔も赤らむ。》
オチた。
ノーベル平和賞ネタには朝日新聞の「天声人語」も反応した(2月18日)。
《米国から日本に「推薦してほしい」と打診があったという。賢く断る手立てはなかったのだろうか。》
《言われるがまま、その賞に推薦するとは、それこそノーベル賞級のお追従ではないか。いかにも外聞が悪い。》