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ガスの元栓や蛇口から見えてくる日本の50年の生活史。ミニマムなことだけ書いても、大きいことが言えるんじゃないかと思った。

――1人分の描写がずい分長かったんですね。それにしても、この小説は最初「群像」に掲載されるはずだったんですね。実際には「アンデル」に連載されましたよね。

長嶋 そう。ボツにして放っておいたら、2015年に中央公論新社から「アンデル」という雑誌が創刊されることになり、何か連載することになって。「群像には『佐渡の三人』(12年刊/のち講談社文庫/※表題作は「文學界」に掲載)を書いたから一応面目は保ったし、いいだろ、と。で、ボツにした『五号室』が、どこにも行き場がなくなっていたので書くことにして。

『アンデル』を作った編集者の横田さんは、僕が学生の頃からの俳句仲間として交流があった人なんです。文芸をやりたくて中央公論新社に入ったのに、入社した後から文芸ができる雑誌がどんどんなくなって、はしごを外された感じだったと思うんです。僕が2001年に文學界新人賞を獲った時にも真っ先に電話してきてくれて、でもずっと、連載する場がなくて。だから『アンデル』が創刊されるとなった時に僕も何か出さなきゃいけないと思ったけれど、何も浮かばない。その時に、前にボツにした「五号室」、あれを輪切りにしよう、と。 

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©佐藤亘/文藝春秋

――ああ、輪切りというのは面白い表現。

長嶋 不動産屋でもらうチラシを見ると、日当たりとか、風呂トイレ別とか、駅近とかいった項目が箇条書きになっているじゃないですか。そういう箇条書きになっていることを章のテーマにしようと思ったんです。住人たちがそのアパートでどう暮らしたかっていうことを住人ごとに見るんじゃなくて、暮らし方を主軸にして、ある章では水回りをどう使ったかを見て、ある章ではどの部屋で寝たかを見る、そういうふうに書けるんじゃないか、と考えた。ただそれも、いざ2話のシンクの話まで書いてみると、毎回そのやり方にするのは無理があるなと。登場する13人の住人分毎回書いていると、さすがに1人分に駆け足感が出る。その回ごとに膨らみがあるほうがいいなと思い、各回数人に絞ることにしました。

それで、輪切りにして、この回は停電とか、この回はトイレとかいったテーマに合わせて、その時に書くべき人を出していく。その着想で前の100枚が要らなくなったんです。

――そうした構成のためか、この小説は住人だけでなくこの部屋自体も主人公で、かつ、ガスの元栓だったり、リモコンに貼られた付箋だったりという住人から住人に受け継がれていく物も主人公というか、キャラクターだと感じました。雨だれさえも。

長嶋 うん。賃貸物件に住んだことのある人なら、そういう痕跡に触れる一瞬はあると思う。

――それに、たとえばこの部屋には最初、エアコンがないんですよね。エアコンというものを想定して設計されていない。蛇口も震災の前と後で上げ下げの方向が変わったりと、日本の50年の生活史となっているところがすごく面白かった。 

長嶋 そうなんです。ミニマムなことだけ書いても、大きいことが言えるんじゃないかと思っていました。そこに「すごく面白かった」と力点を置いてもらえるなら、この小説は成功だったんじゃないかな。

――50年というのは歴史の流れのなかでは短い。でも人の暮らしってこんなにも変わるんだなと改めて思いました。ヒューズからブレーカーへの変化とか。

長嶋 僕自身44年生きているから、ちびっこの頃の記憶も、大学生の時の記憶も、うまいこと分散できました。これまでもいろんな小説で、佐渡島に納骨に行ったこととか、山荘でみんなでゲームをしたこととか、Twitterで交流したこととか、自分自身の経験を書いてきたけれど、使いそびれてきたものがある。それはただ和室でテレビを観ていたといった、エッセイにもならないような、ただ住んでいた、ということなんですよね。それだけで小説を作ったらどうなの、という。他の小説には使えないべくして使えないものを使った、残り物総決算みたいな小説ともいえるな。

――そうしたら素晴らしいものができてしまった(笑)。

長嶋 たまたまなんだけどね(笑)。みんな疑問に思わないで自然に読むと思うんですよ。最初のほうには子どものいる家族が住んで、だんだん部屋で火炎瓶でも作っているような男が住んだり、学生が安い下宿として住み、単身赴任の人が住んだりして、最後は外国人が住むというのは、日本の50年間の記憶に照らして書いているんだろうと思うかもしれないけれど、実は私小説的に、僕が70何年頃小学生だったから、その頃小学生が住んでいる設定にしているんですよ。僕の都合なんです。90何年の頃に大学生が住んでいることになっているのは、僕がその頃大学生だったからです。そうすれば、僕はその頃に感じた空気をそのまま書けるから。多彩な人をアトランダムに住まわせているように見せつつ、たまに老夫婦とか、僕ではない外国人とかを配しつつ、実は自分が見てきたものを私小説的に出せるようなズルが、いや、工夫がしてあるんです。