昨日できなかったことが、今日はできるようになる。そんな実感を持つことができる人生は、きっととても幸せなんだろう。実際のところは、昨日と今日とでは大した違いはなく、むしろ、昨日までできていたことが、今日はできなくなることだってあるかもしれない。必ずしも「成長」や「進化」ばかりではなく、むしろ「衰退」や「退化」を実感することの方が多いのかもしれない。
つまるところ、それが「老い」ということであり、「年をとる」ということなのだろう。僕たちは、毎日をのんべんだらりと生き、日々のルーティンをこなすことで精一杯だ。知らず知らずのうちに、僕らは日々を惰性で生きている。 人生を重ねるうちに、僕らは自分の身の丈を知り、限界を悟り、「どうせ、そんなもんさ」と、自分で自分に期待することもなくなってゆく。つまりは、人生を冷ややかに、シニカルに生きていく。
昨日できなかったことが、今日はできる幸せ
沖縄に行っていた――。春のキャンプを見ていると、えも言われぬ高揚感に胸が熱くなる瞬間がある。例えば特打。限界までバットを振り込んで、両手のマメから血が滲み出し、「もうこれ以上はバットを振れない」。そんな限界の先に、昨日まで打てなかったボールが快音とともに、ずっと遠くまで届くことがあるかもしれない。
2年目の村上宗隆、4年目の廣岡大志のフリーバッティングには夢があふれていた。全体練習終了後に行われた特打で、彼らはフラフラになりながらも、「ウォリャーッ!」と大声を出しながら、最後の気力を振り絞るかのように目いっぱいのスイングを繰り返す。その打球は力強く、夕闇を切り裂くように、白球はどこまでも、どこまでも遠くへと飛んでいくように思われた。
あるいは特守。ユニフォームを泥だらけにしながら、右に左に、前に後ろに白球を追い、「もうこれ以上は立っていられない」。そんな限界の先に、昨日まで捕れなかったボールがグラブに収まる瞬間があるかもしれない。
ルーキー・吉田大成と2年目・宮本丈の特守は圧巻だった。ノッカーである宮本慎也ヘッドコーチは彼らに向かって、容赦なくノックの雨を降らせていた。捕れそうで捕れない絶妙な位置に、強弱をつけたさまざまなゴロを打ち込んでいく。吉田も宮本丈もユニフォームを泥だらけにしながら白球を追い続ける。それを見守るファンたちも、思わず息を呑む。声援すらもはばかられるほどの殺気が辺りを包む。
叱咤を飛ばす宮本ヘッドの声と、肩で息をする若手選手たち。その姿は見ている者の胸を打った。まったく部外者の一観客である僕までも「オレももっと頑張らなければ……」と、そんな気持ちにさせられたほどだった。
村上宗隆、廣岡大志、吉田大成、宮本丈に見る希望の光
夕闇が、次第にその色彩を強め始めた頃、ノックの雨は終了となった。しかし、その後も宮本ヘッドは吉田と宮本丈に向かってしばらくの間、熱心に話を続けている。二人は体育座りをしながら、食い入るような目つきで耳を傾けている。残念ながら、何を話していたのかはわからなかったけれど、「鉄は熱いうちに打て」を信条としている宮本ヘッドのことだから、この日気づいた両者の課題点を熱心に説明していたのだろう。
夕闇から暗闇へと変わり始めた頃、ようやくその輪が解かれ、期待の若手二人が肩を並べて室内練習場へと移動する。サブグラウンドからの行程を静かに見守るファンたち。この光景を見ていて、僕はひそかに羨望を覚えていた。
(今晩、彼らは満足感とともにグッスリ眠るのだろうな……)
今日流した汗は、間違いなく明日への糧となることだろう。目に見えるほどではないかもしれないけれど、それでも確実に、そして着実に、彼らには「今日よりも上手になっている明日」が訪れることだろう。日々を惰性で生きているということを、薄々自覚しながらも、特に何もしていない我が身を振り返り、彼らの姿はとてもまぶしく見えた。
文春野球がスタートした2017年、ヤクルトは「シーズン96敗」というチームワースト記録を更新した。文春野球2年目となった2018年、小川淳司新監督や宮本慎也ヘッドコーチらを迎えたスワローズナインは、見事に「再起」し、2位にまで這い上がってきた。昨シーズン終了後に行ったインタビューにおいて、小川監督は言った。
「選手たちの“悔しい”という思いを無駄にしたくなかったから、僕らも真剣に指導しました。そして、それに応えるように選手たちは必死に練習をしました。“2位になったからよかった”と単純には思わないけれど、選手たちの頑張りはきちんと認めてあげなきゃいけないと思っています」
そして開幕直前、オープン戦期間中に行ったインタビューにおいて、小川監督は言った。
「17年と比べると、確実に選手層は厚くなっています。それはやっぱり、キャンプにおける猛練習の成果だと思っています。技術はすぐに向上するものではないけれど、猛練習によって着実に選手たちの身体は強くなっています。それは選手たちが必死にキャンプに臨んだからだと、僕は思います」
この言葉を聞いて、僕の頭の中には夕闇の中で必死にバットを振り続けていた村上宗隆、廣岡大志の姿が、泥だらけになりながら夢中でボールを追い続けていた吉田大成、宮本丈の姿が鮮やかによみがえっていた。