堂々たる“初陣”だった。今季からエースナンバー18を背負った巨人・菅野は開幕戦では3連覇中の王者カープを相手に、7回102球を投げて1失点。8番打者の安部に1発を浴びて黒星を喫したものの、驚異的なピッチングを見せた昨季後半からの安定感はさすがの一言だった。そんな菅野がテレビのインタビューでこんな発言をしていた。
「楽しんで投げられるほど軽いポジションではない。それに僕は楽しさを忘れてから成績が伸びたんです」
エースとしての自覚にあふれる発言に付け加えられた「楽しさを忘れる」とは何か。もちろん、私生活で自分を律することだったり、食生活に気を付けて体を十分にケアすることだったり、ということも含まれるだろう。だが、菅野が捨てたものの一つは「ピッチング自体の楽しさ」であるような気がする。
投げられるはずの160キロをあえて投げない
菅野は大学3年生の夏、当時キューバ代表のデスパイネに対して157キロを投げ込んでいる。身体のポテンシャル的には160キロを出すことも決して不可能ではないはずだ。実際、プロ入り後もリミッターを外した国際大会では155キロをマークしている。ただ、通常時の菅野はスピードを追い求めることはせず、出力を「調整」しているようにも見える。投げられるはずの160キロをあえて投げない。僕はここに「楽しさを忘れる」の一端があるように思えてならない。
もし、ピッチングが打者なしで行われるコンテストのようなものだったら話は別だ。たとえば、
「千賀のフォークの落ち幅が史上最大を記録」
「大谷5球連続165キロ、日本記録更新!」
といった具合である(これはこれでなかなか楽しそうではあるが)。打者のことやシーズンを通しての成績など考えず、アーティスト的に自分の表現を磨いていくこと、つまり1キロでも速いボールを投げようと試みたり、得意な変化球の切れ味をひたすらに追求したりすることはきっと楽しいはずだ。だが、現実の野球は相対的なものであり、160キロだろうが135キロだろうがストライクはストライク、3球三振も牽制死も同じアウトに過ぎない。打者の力が6であれば、7の力で抑えればいい。打者の力が5なのに15の出力を出していたら効率が悪すぎるし、143試合の長丁場を乗り切ることはできない。アーティスト的な追求をあえて排し、フォームの再現性を高め、結果を最大化することに集中しているのが菅野という投手なのだと思う。菅野自身も常時100%の力で腕を振って投げていたら1シーズン持たないと考えており、二遊間の送球練習に混ざってテイクバックを小さくしていく試みをしていた、という話を聞いたこともある。
ゼロに抑えるか、試合に勝利するか
もちろん、リアリストに徹することと、ピッチングに対する向上心を持ち続けることは矛盾しない。菅野自身が3月に刊行された『菅野智之のピッチングバイブル』(ベースボール・マガジン社)の中でこう語っている。
「チームが勝てばOKだという考えの方もいますが、僕にはありえません。点差があるからこそ、ゼロに抑えなければいけない」
10−0だったとしても1点も取られたくない。結果に対する強いこだわりが感じられる。その一方でこんな興味深い発言もしている。
「大事な局面で力をだすためには、初回から全力で飛ばさないことが大前提。先発ピッチャーは9回を投げ終わっても、余力を残すぐらいが理想です」
今の菅野は1点も許したくはないという完璧主義的なところと、試合での勝利にこだわるリアリストの側面が絶妙なバランスで共存しているように見える。だからこそ、球界最強の投手に成長したのだろう。開幕戦で安部に浴びた1発にしても、1試合トータル、1シーズントータルで見てもっとも素晴らしい結果を残すためのアプローチは何か、という取り組みの中で、ほんの少しのミスがホームランという結果になってしまったシーンに見えた。