新天地でシーズンを迎える選手が注目されるのはプロ野球の常だ。ただ今季は例年とは少し異なる。フリーエージェント(FA)で新チームと大型契約を結んだ選手よりも、その人的補償で移籍した長野久義外野手と内海哲也投手が脚光を浴びている。スター選手を放出することになった巨人への批判はあるが、制度がベテランの「飼い殺し」を防ぎ、新鮮な話題を提供したことは評価できる。1993年のFA導入直後はないも同然だった人的補償制度が、ようやく機能するようになった証拠だろう。制度導入の経緯や変遷をひも解き、巨人が下した判断を振り返る。
原案の補償はドラフト指名権だった
FA移籍にともなう人的補償は、当初案では現有戦力からの放出でなく、ドラフト指名権だった。1993年3月、プロ野球の「FA問題等研究専門委員会」は、人的補償の方法を含む答申原案をまとめた。ドラフト1巡目の後に「特別ドラフト」を挿入し、選手を失った球団に指名させるというものだった。だが当時を知る関係者によると、ドラフト指名権での補償案は、影響があまりに大きいとして反発を招き、水面下で代替案の模索が続いたという。
戦力の一極集中を避けるための制限と、有効なFA制度のせめぎ合いの結果生まれたのが、現有戦力から獲得可能選手の名簿を差し出すことだった。同年9月に導入が決まった制度は「球団が任意に定めた四十名を除いた選手名簿」と、いわゆるプロテクト枠を40人に定めた。
支配下登録選手70人のうち40人をプロテクトすると、めぼしい戦力はまず残らない。落合博満(中日→巨人)、駒田徳広(巨人→横浜)ら4人が移籍した1年目は、全球団が金銭補償を選択した。プロテクト枠は1996年から35人に。2003年に30人、2004年には現行の28人となり、ようやく人的補償が機能し始めた。
主力1人を手放した球団は、ドラフト1巡目で3人を指名できた
FA制度は米大リーグを参考につくられた。当時の大リーグは、FA選手の旧所属チームに手厚い補償をしていた。Aランクと格付けされたFA選手を失った球団は、獲得球団から最も上位の指名権を譲渡され、さらにドラフト1巡目の最後尾にもう1人指名権を得られたのだ。主力1人をFAで手放した球団は、1巡目で3人を指名できたことになる。
指名権が補償として使われたのは、日本ほどドラフトが重視されていなかったからだろう。高校、大学のチーム数が膨大な米国では、アマチュア選手の見極めが難しいとされ、かつてはマイナーでの選別を重視する考えが主流だった。だが2000年前後からアスレチックスなどが統計を駆使してアマ野球の成績を分析し、ドラフト上位で「当たり」を引く確率が高まった。例えば2005年のレッドソックスは、FAの補償として1巡目で5人を指名し、エルズベリーやバックホルツら全員が大リーグで活躍した。