アナウンサーの「おかえりなさい!」という呼びかけに対して、五十嵐亮太は「ただいま!」と力強く答えた。神宮球場ライトスタンドからそのやり取りを見ていて、「あぁ、ついに五十嵐が帰ってきたんだな……」と感慨を覚えた。記録によれば2009(平成21)年10月7日の対横浜戦以来となる古巣での勝ち星だという。
09年当時は、現ピッチングコーチの石井弘寿もまだ現役選手だった。五十嵐・石井コンビが「ロケットボーイズ」と呼ばれていた頃のことだ。いや、この頃の石井はすでに左肩に異変をきたしており、故障からの復活を目指してリハビリの真っ只中にあった。あれから10年の歳月が流れた。五十嵐は翌10年から海を渡り、メジャーリーガーとなった。一方の石井は11年に現役を引退。指導者としての道を歩むことになった。
10年ぶりの五十嵐の勝利とスワローズマン
グラブをはめた左手を天高く突き出すような背番号《53》の雄姿を神宮のマウンドで見ることはもうないだろうと思っていた。しかし今年、五十嵐は神宮に帰ってきた。そして、開幕7戦目に好リリーフを見せて勝利投手となり、ヒーローインタビューを受けているのだ。五十嵐も感極まっているようだった。神宮球場の片隅で、僕の胸にも熱いものがこみ上げていた。そのとき、ふと、こんな思いが僕の頭をよぎっていた。
(ついに、神宮に五十嵐は帰ってきた。スワローズマンは帰ってくるのだろうか?)
五十嵐のメジャー行きとともに姿を消した謎のマスクマン「スワローズマン」。ご存じない方のために簡単に説明すると、07年のファン感謝デーで突如現れたスワローズマン。見た目は五十嵐にソックリなのだが、当人は頑なに「五十嵐の親友だ」と言い張り、「オフの間、五十嵐の練習パートナーを務めるため」に、五十嵐の故郷である北海道留萌市からやってきたのだという。その後、このマスクはブロレスラーのU.M.A.(ユーマ)からプレゼントされたものだということまで判明したものの、依然として正体は不明のままだった。
今年の1月24日、五十嵐の入団会見後に行われた囲み取材において、ある記者が「またスワローズマンが見られるのか?」と質問したところ、五十嵐は「もう(スワローズマンのことを)知らない人がいますよね?」と若い新聞記者たちに尋ねたという。実際に若い記者たちにとって「スワローズマン」とは初めて聞くフレーズだったらしい。
このとき、「スワローズマンの復活」について、五十嵐は明言していない。この記事を読んで以降、僕はスワローズマンの復活を熱望している。伝説の復活に向けて何か力になれないだろうか? そう考えた僕は、少しでも復活の機運を高めるべく、こうして文春野球において、スワローズマンの原稿を書いているのである。そもそもスワローズマンとは何者なのか? 順を追って説明していくこととしたい。
謎のプロレスラーからのダイレクトメッセージ
話は今年の1月にさかのぼる。日刊スポーツ紙において、「神宮に出現? 伝説のスワローズマンのマスクは今……」という記事が公開された。この記事を受けて、僕は次のようなツイートを発信した。
「僕は信じてる、スワローズマンの復活を! 困っている時にはいつも現われて助けてくれたスワローズマンの復活を! あぁ、スワローズマンに会いたい!」
このツイートに対して、意外なところから反響があった。Facebookの友達申請に見知らぬ名前。なんと、スワローズマンと懇意の間柄であるU.M.A.氏からのダイレクトメッセージだった。そこにはこんなことが書かれてあった。
「突然の友達申請申し訳ございません。名古屋在住で細々プロレスやっておりますU.M.A(ユーマ)と申します。五十嵐さんのヤクルト復帰でちょっとザワついてるスワローズマンの元(?)です。よろしければ承認お願い致します。追伸・妻が長谷川さんのファンでお名前聞かされました」
まさかの展開に驚きつつ返信をすると、「神宮でのオープン戦観戦のために、近々東京に行きます」とのこと。もちろん、一度お会いしてお話を伺う約束をして、3月某日のオープン戦終了後に、U.M.A.氏と奥さまと一緒に酒杯を干したのである。初めて会うU.M.A.さんはさすが現役プロレスラーという巨躯を誇っていた。以下、彼が語る「スワローズマン誕生の経緯」をご紹介しよう。
「名古屋生まれ、名古屋育ちなので、ご多分に漏れず、元々はドラゴンズファンだったんです。でも、周りがみんな中日ファンばかりだったので、“違うチームを応援しよう”と思って、若くてイキのいい選手が多かった、関根(潤三)監督時代のヤクルトを応援することにしました。えぇ、それ以来ずっとスワローズファンです。その後、野村(克也)監督になってからも、ナゴヤ球場レフトスタンドには何度も通っていました。でもその後、プロレスラーになるという自分の夢をかなえる時期に、少しだけスワローズからは離れたんです……」
僕は、ジョッキを傾けることも忘れて、U.M.A.氏の話に聞き入っていた。