スワローズマンが誕生し、消えていくまで……
U.M.A.氏の話は、さらに続く。
「……その後、無事にプロレスラーになってしばらくした頃、またヤクルトに対する情熱が戻ってきたんです。それが05年、若松(勉)監督のラストイヤーで、この頃のストッパーが五十嵐亮太選手でした。荒々しいフォームから繰り出される剛速球にすぐにファンになりました。でも、その後五十嵐投手は故障に苦しみ、ファームでリハビリをすることになったんです。そこで、どうしても五十嵐さんに会いたかった僕は、休みを利用して(ファームのある)戸田に行ったんです。07年の9月のことでした……」
念願のプロレスデビューを果たした後、U.M.A.氏は試合の入場時には五十嵐のレプリカユニフォームを着用し、スワローズをモチーフにしたマスクをかぶって試合をしていたのだという。ガチのスワローズファンであることは疑いようがない。続きを聞こう。
「……戸田での練習終了後に、自分のマスクにサインをしてもらったんです。そのときに、五十嵐投手がものすごくマスクに興味を持ってくれました。すごく喜んでくれたのが嬉しかったので、もう一つ五十嵐さん用のマスクを作って、球団に送りました。その後、しばらくの間は何の音沙汰もなかったんですけど、この年のファン感に、突然スワローズマンが登場したんです! あれは本当に嬉しかったですね。でも、話はこれで終わらないんです」
何、何、一体、どうなるのよ、早く続きを聞かせて! 僕は話に夢中になっていた。手元のビールはすでにぬるくなり始めていた。
「……ファン感謝デーから数ヵ月後、見知らぬ番号から着信があったんです。普段なら登録していない番号には出ないんですけど、このときはなぜか電話に出ました。そうです、五十嵐さん本人からの電話だったんです。内容は、ファン感で勝手にマスクをかぶってしまったことの謝罪と、“これからもしばしばかぶらせてほしい”というものでした。その後、09年までの間に何度か神宮に観戦に行き、五十嵐さんご本人とごあいさつするチャンスをもらいました。このとき、別バージョンのマスクをプレゼントしたんです。そうしたら、五十嵐さんは“ちょっと待ってくださいね”って言って、クラブハウスから球団支給の練習着をわざわざ持ってきて、僕にプレゼントしてくれたんです!」
前述したように、この年のオフ、五十嵐はメジャーに挑戦し、スワローズマンは自然消滅となった。それでも、U.M.A.氏はずっと五十嵐の応援を続けていたという。そして、今回の古巣復帰。U.M.A.氏もまた、僕同様に「スワローズマン復活」を願っている一人だ。U.M.A.氏は言う。
「今回のヤクルト復帰に当たって、また五十嵐さんにニューマスクをプレゼントするつもりです。現在、職人さんに頼んで新作を作ってもらっています。完成したら、ぜひご本人に届けたいと思っています。球団に届けたらいいのか、神宮球場に持参すればいいのか、いずれにしても、もう一度、五十嵐さんにマスクを届けたいんです!」
U.M.A.氏の情熱は本物だ。今後、どんな展開が待ち受けているのか? 進展があり次第、ぜひこの文春野球において続報をお届けしたい。マスクをめぐる物語。ひとまずはプロローグということで、今回は筆を置くことにしよう。
◆ ◆ ◆
※「文春野球コラム ペナントレース2019」実施中。コラムがおもしろいと思ったらオリジナルサイト http://bunshun.jp/articles/11221 でHITボタンを押してください。
この記事を応援したい方は上のボールをクリック。詳細はこちらから。