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連載『めちゃイケ』、その青春の光と影

「『めちゃイケ』はヤラセでしょ」という批判 フジ片岡飛鳥はどう考えてきたか

フジテレビ・片岡飛鳥 独占ロングインタビュー#7

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 フジテレビ・チーフゼネラルプロデューサー片岡飛鳥氏のロングインタビュー第7回。今回も人気のテレビっ子ライター・てれびのスキマさんがじっくり聞きます。(全11回の7回目/#1#2#3#4#5#6 #8#9#10#11公開中)

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ミスチルを真似して「波打ち際でエレキギター」

<ナインティナインらと組んだユニットコント番組『とぶくすり』が終了し、1995年10月28日から始まったのが『めちゃイケ』の前身番組である『めちゃ×2モテたいッ!』。ナインティナインに武田真治と雛形あきこ、鈴木紗理奈が加わった一方で、よゐこや加藤浩次、光浦靖子がこの一時期に番組から抜けた。番組はコントではなくトークコーナーやロケ企画が中心となっていった。なぜなら“とぶくすり禁止令”が出ていたからだという。>

フジテレビ・チーフゼネラルプロデューサー片岡飛鳥氏

『とぶくすり』のあとで、正確には『とぶくすりZ』という深夜の帯番組もやらせてもらったんですけど、そのコント漬けの時代が終わってから『めちゃ×2モテたいッ!』が始まるんです。パナソニック提供の土曜23時半という、当時みんながやりたがった『夢で逢えたら』の枠。そのときに「オシャレな枠なんだから、コントとかもうそんな泥臭いことをやってないで」みたいな社内の意見があったんです。だからその頃、僕や作家の伊藤さん(※1)は“とぶくすり禁止令”とか自分たちで揶揄しながら「コントはもう十分やってきたし、“とぶくすり禁止令”を守って、なにか新しいことをやってみよう」って面白がっていたんです。

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 初回の収録では『めちゃ×2モテたいッ!』というタイトルだから、女子にモテるような動画を撮ろうって言って、岡村をロケに連れ出して、当時流行していたMr.Childrenの「シーソーゲーム」のPVをコピーした。それは桜井(和寿)さんが波打ち際でエレキギターを弾きながら「恋なんて♪」と歌っているもので、企画を進行する矢部が「岡村さん、同じものを撮るとモテるようになりますよ」「モテますかね、そんなことで?」「モテますよ。ちゃんと見てください。この桜井さん」と言うと、しばらくPVを見た岡村が「……これはモテるなあ」と(笑)。その日は風が強くて、ものすごく海が荒れていた。心配性の岡村が「天気大丈夫ですかね?」って言いながら湘南の海に入ってギターを弾いて歌う。テイクを重ねて何度も高波に飲まれながらも中々OKが出ない。

『めちゃモテ』ミスチルPVロケ。矢部(当時24歳)と岡村(当時25歳)のテンションの高さが伝わってくる。この初回のロケ地は偶然にも『めちゃイケ』最後のロケ地と同じ海岸だった ©フジテレビ
編集後のパロディPV。ミスチル桜井愛用のエレキギターの名器「リッケンバッカー」を何度教わっても「ベッケンバウアー(サッカー元ドイツ代表)」と答えていた岡村 ©フジテレビ

 矢部が「岡村さん、もう少しで撮り終わりますから頑張って下さーい!」って、本当はもう撮り終わっているのに。んで、また高波に飲まれる(笑)。収録中ずーっと笑ってた記憶があります。スタジオに篭ってコントを撮っていた時とは違う、なんというか爽快な面白さで。ナインティナインもまあ楽しかったんだろうけど、意味もなくテンションが上がってた。

そしてこちらが“岡村高波に飲まれる”の連続カット。片岡いわく「僕と矢部のSっ気と岡村のMっ気が噛み合って撮影が延々続いたパターン(笑)」 ©フジテレビ