「民間の力を高めたい」
海外視察での体験も大きかった。1867(慶応3)年にパリ万博を視察した際、船でスエズ運河を通って行ったのですが、その運河が民間企業の資金を集めたことによって出来たことに栄一は大変驚いたのです。西洋では民間でも公の大事業を担うことが出来るのか、と。
そこで帰国後にまず静岡で、商法会所という金融と商社機能を持ついまで言う「会社」を立ち上げます。それが軌道に乗り、明治政府にスカウトされ、大蔵・民部両省で度量衡の制定や国立銀行条例制定に携わります。ところが予算編成を巡って大久保利通と対立し、わずか4年で退官。官尊民卑の風潮の中で「お前は堕落している」との批判も受けたようです。
しかし栄一はそれに屈せず、官僚時代に設立を指導していた第一国立銀行の頭取に就任すると、東京瓦斯(現・東京ガス)、東京海上保険(現・東京海上日動火災保険)、王子製紙と次々に企業の設立に参加していきます。
同時に東京慈恵会、日本赤十字社などの社会事業や商法講習所(現・一橋大学)や日本女子大学などの教育機関の立ち上げにも関わります。これも民間の力を高めたいという気持ちからのものでしょう。
亡くなるまで残し続けた思想
事業においてもう一つ栄一が大切にしていたのは「持続性」です。著書『論語と算盤』には「経営者一人がいかに大富豪になっても、そのために社会の多数が貧困に陥るようでは、その幸福は継続されない」とある。企業が利益だけを追求し、資本を蓄積するだけでは豊かさは永続しない。社会に還元していくことで、長期的には社会発展という形で次の世代につながっていき、結果的に企業も永続することになる、という考えです。いまのサステナビリティーの原型ですね。
その思想のお陰で渋沢家には財産は残っていません。500もの企業の設立に関わったので、押入れのどこかに株券の1枚ぐらい入っているのではないかと探してみましたが、ありませんでした(笑)。ただ格好いいことを言うようですが、栄一は91歳という高齢で亡くなる最後まで、数多くの言葉を残してくれています。『論語と算盤』にしても、私が独立したときに読んだ『青淵百話』にしても、いまの世にも通じる示唆に富んだ言葉ばかりです。
驚くことに、いま週に1~2回は栄一の思想についての講演依頼があります。それだけ現代の日本でも彼の思想は求められているということでしょう。