文春オンライン

連載『めちゃイケ』、その青春の光と影

「このちっちゃいオッサンをみんなで支えていくんだな」

<そんな矢部や加藤は『めちゃイケ』を「岡村隆史を神輿に乗せてみんなで担いだ番組」だと表現した。それを片岡は「けだし名言」と言う。>

 いってみればメンバーたちが腹をくくって「同世代のライバルを持ち上げる」という役を演じてくれたんだと思います。神輿の上がエラいわけでもなければ、下がダメなわけでもない、あくまでも持ち場の問題。ただ、大きかったのは2005年の「オファーシリーズ」でのゴルフ(2005年10月8日放送「第10弾 横峯さくらとゴルフ編」)だと思います。

ゴルフを始めてたった1週間で“奇跡を呼ぶ男”(→#7)として徹夜のホールインワンにチャレンジし続けた岡村 ©フジテレビ

 ホールインワンを目指して、一晩中1500球を打ち続ける。その岡村をみんなが応援する……というかただただ目の当たりにする。同じく徹夜で。最初にタレントを目指した時は、たぶん誰もがセンターに行きたかったはずなんですよ。同世代として『新しい波』(→#5)から競ってきたメンバーはなおさらです。だけど、2時間とか3時間のスペシャルを背負わされてフラフラになって球を打ち続けている岡村の顔を見ると、生半可じゃない何かに、「ああ、このちっちゃいオッサンをみんなで支えていくんだな」って感じたんだと思う。

チャレンジ開始11時間後、グリーンに落ちた岡村の1414球目のティーショットがカップインしかけた瞬間のメンバー。ちなみに時刻は“一晩が明けた”早朝6時前 ©フジテレビ

<こうした「奮闘する岡村をメンバー全員が見守る構図」というのは、番組当初からのものではなく、基本的には最後の本番は矢部ひとりが別室でモニタリングすることが多かった。それが全員で見守る形になったのは、『めちゃイケ』が屋台骨になって生放送された『27時間テレビ』(2004年)での、元世界王者・具志堅用高とのボクシング対決だ。このボクシングと翌年のゴルフという極めてスパルタンな挑戦を経て、「岡村をみんなで支えよう」というメンバーの意識が確信に変わっていったのだろう。ちなみに、岡村がリングの上で日本中の感動を呼んだその夜(瞬間最高視聴率32.7%)には、100キロマラソンに出ていた加藤浩次が生放送中のゴールに間に合わないという“あり得ない非予定調和”も起きていた。>

 2004年に『めちゃイケ』メンバーと中居(正広)が初めて組んだ『27時間テレビ』には実現しなかったエンディングがあって、加藤がマラソンをやって、100キロ走ってゴールしたときに、みんなが岡村のボクシングに夢中になっていて肝心のゴールを中継し忘れる。それに怒った加藤となだめようとする相方の山本が揉め始める。で、感動的な『27時間テレビ』のエンディングで極楽とんぼが大ゲンカしてセットを全部ぶち壊して終わるってコント(笑)をやりたかった。

 最後の最後まで笑いがないとっていうのは、フジテレビの『27時間テレビ』はあくまでも、先にそれを作った日テレの『24時間テレビ』のパロディでなければならないと僕のDNAに刻まれていたからなんです。それは星野淳一郎さん(※1)たちがそもそも第1回(1987年)をつくったときがそうだった。オープニングでタモリさんが「こっちはチャリティーではありません!」って言ったのを大学4年生の時に見て、死ぬほどカッコいいじゃん!と思ったのが大きな原点で。そのうえ、丸1日かけて死ぬほどくだらないことをやったクセに、最後は徹夜でお笑いをやり切ったみたいな爽やかな感動があった。これは30年以上たった今でも忘れていない。きっとテレビにも後味というものがあって、いい後味があると人の記憶に残るんだと思います。