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大学院在学者は91年から2.5倍に

 大学院出身者の就職難は、日本国家が研究力の強化を図る“つもり”でおこなった、1990~2000年代における大学院の拡充や大学教育現場への競争原理の導入、また新自由主義的な風潮のもとで各大学が進めていった「役に立つ学問」への偏重といった、国家政策やそれに準ずる大学側の姿勢の“改革”によりもたらされた面が多い。

 文部科学省のデータによると、平成初期の1991年(平成3年度)の大学院在学者数が9万8650人(うち博士課程は2万9911人)だったのと比べて、2016年(平成28年度)の在学者数は24万9588人(うち博士課程は7万3851人)と、ほぼ2.5倍に増加している。

 門戸が広がれば、以前ならば大学院を目指さなかった水準の学生も研究者を夢見て進学してくる。だが、学生をドカドカと入学させたにもかかわらず、少子化する日本においてその後の就職先のポストは限定的だ。しかも、博士課程まで進んでから研究者を目指さなかった場合のキャリアプランも、ほとんど示されてこなかった。

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進路「死亡・不詳」が2割弱の衝撃

 もちろん、大学教授を目指すにせよ、歌手や漫画家を目指すにせよ、普通にサラリーマンとして生きるのと比べれば人生のバクチ度がはるかに大きい進路選択だ。実力主義の残酷な世界であり、能力が足りない人が「食えない」のは、国の政策だけが悪いのではなく、自己責任として甘受するべき部分もある。自分の能力を客観視して夢を諦める勇気もときには必要だ。

 だが、歌手志望者や漫画家志望者(の大部分)と、大学教授を夢見た若手研究者との最大の違いは、後者は曲がりなりにも最高水準の教育を受けていることだ。彼らは修士号や博士号を授与されたハイレベル人材であり、たとえ研究者としてのポストを得られなくても、本来ならば社会に対してなんらかの知的貢献ができる能力を持っている。

 ――だが、現実ではその能力は社会に還元されていない。本人がなんらかの資格を取っているか、実家が資産家でもない限り、人文系の大学院出身者は実学系や理系以上にツブシが効かないからだ。

 今回の『朝日新聞』記事でも、特に人文系の場合、博士号取得者で進学も就職もできなかった人が3割近く、進路が「死亡・不詳」とされた人も2割弱という、恐るべきデータが示されていた。博士号を取らずに大学院を離れた人の進路状況はより厳しいだろう。