三菱商事から43歳でローソン社長に転じ、2014年にはサントリーホールディングス社長に就任した新浪剛史氏。傍目には順風満帆な社会人人生に思えるが、三菱商事就職時の配属先は、このままでは存続自体が危うい部署だったし、ハーバード大学ビジネススクールではどんなに努力してもまったく敵わない相手がいることを知った。しかし、そこで新浪氏が学んだこととはなにか。すべてのビジネスパーソンに贈る、新浪流サバイバルビジネス術。

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 三菱商事の先輩たちの中には当時、MBAを取得して帰国すると、転職をしてしまう人も多くいました。私も最初は転職を考えていましたが、会社に恩もありましたし、残ろうと考えていました。

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 ところが、私の場合、ハーバードから帰ってきても、どこも引き取り手がなかった(笑)。社内では、「あいつは予想もできないことをやる。先輩とケンカもするし、部においていては秩序を乱す」。それが、私に対する定評でした。今の私でも当時の自分を考えるとそう思います。

 配属先がなくて困っていると、留学する際の面接官だった留学前の上司が「あいつを選んだ責任がある」と食料本部に戻してくれました。ハーバードに行くまで、社内選考に2度落ちたことがあるのですが、3度目に通してくれた上司でした。

 与えられた仕事はスーパーに冷凍食品を売ること。またしても、国内の仕事です。アタッシュケースの夢はまだ実現しません。やはり転職をしようかと考え、実はある大手経営コンサルティング会社から内定をもらっていたのです。

ハーバードから給食会社へ ©榎本麻美/文藝春秋

 しかし結局、その会社には行きませんでした。頭で勝負するよりも、行動だと思ったからです。体を張って何か新しいことをやろう。そう思って、転職ではなく、給食会社の事業計画を提案し、出向することにしたのです。自分の実力はまだ“竹光”だとはわかっていましたが、“真剣”を抜いてみたい。やるなら、小さくてもいいから、自分でやれる仕事をしたいと思ったのです。

 そして36歳で給食会社のソデックスコーポレーション(現LEOC)に社長として出向し、三菱商事という大企業から中小企業のマネジメントを初めて経験しました。

 最初は失敗したと思いました。ハーバードビジネススクールは経営の士官学校です。士官としての教育を受けるわけですから、人の下で働くのはイヤ。人の言うことなんか聞くものかと思っていたのです。実際、当時はそんな尊大なオーラを醸し出していました。

 しかし、頭で考えていることと、実際にやるとではまったく違います。自分ではよく出来た事業計画書を作ったつもりだったのですが、まったく現場は動かない。それまで荷役の仕事を通じて現場を仕切ったことはあるのですが、士官の勉強をしているうちにそうした感覚もどこかに飛んでしまっていました。

 人に働いてもらうことは本当に難しいことです。ソデックスの社員たちはほとんど年上で、多くはコックの方々です。彼らは私のことを信用してくれません。どうせ三菱商事でハーバード出身だから、「2~3年したら帰るんだろ」と相手にしてくれないのです。しかも、私の言葉は横文字が多く、何を話しても理解してくれない。社員たちはニコニコしてわかったふりをしていますが、まったく通じていないのです。

基本の徹底

 これではまずい。そう思って、当時自宅のあった熱海に社員たちを呼んで、温泉に浸かりながら「こんな会社にしたい」ということを語り合いました。彼らの中から、経営能力がある人とコックとして腕のいい人を幹部として抜擢しました。この2人をリーダーにして、全体をマネジメントさせることにしたのです。

第35回 ベストドレッサー賞も受賞(一番右)

 次に、何がお客様に評価されるのかを考えました。給食会社はBtoBのビジネスですから、クライアントとカスタマーがいるわけです。カスタマーに評価されれば、クライアントからの評価も上がります。でも、業界はどちらかというとクライアントを見ていました。カスタマーにどう評価されるか。それはコックさんたちにかかっているのです。しかし、リソースはありません。我々は業界の中では弱小企業で、やれることは限られている。では、弱小が大手に勝つにはどうすればいいのか。

 そこで悩んだ末に注目したのが、基本の徹底だったのです。規模が大きくなればなるほど、メニューもどんどん格好いいものになっていく。ならば、我々はごはんと味噌汁でいくと決めたのです。良いごはんを炊くにはどうすればいいのか。良い味噌汁をつくるにはどうすればいいのか。あとはホスピタリティの強化です。そのため、パートの女性たちのユニフォームを新しくして、モチベーションを高めました。そして接客も良くし、さらに食堂内の照明も変えたのです。

 こうしたことを始めるときに、大事なのは自分が現場で率先して仕事をすることです。まさに率先垂範です。自分は皿洗いしかできませんから、それをやりました。こんなことはハーバードでは学べません。成功するために必要に迫られてのことでした。

チャレンジしたら先輩が応援してくれた

 とはいえ、1~2カ月くらいは、自宅に帰ると嘆いていました。ハーバードまで行って、なぜこんなことをやるのか。もっとやることがあるだろう。こんな仕事なんて、やめればよかったと。最初は、事業計画を出しても先輩から「おまえは必要だから、給食会社なんてやめろ」と言われるくらいに考えていました。でも、誰もそんなこと言ってくれないのです。

 ただ、三菱商事の良いところは、本当に飛び込んだら、先輩たちがビジネスを応援してくれることです。給食会社はBtoBですから、業績を拡大するには新たなクライアントに営業をかけなければなりません。そんなとき企業への紹介を常務クラス以上の方々までがやってくれました。「おまえ、がんばっているな。大変だろ」というわけです。

 何かにチャレンジしている若いヤツは応援しようという文化が三菱商事にはあります。例えば、ある企業が新しいビルをつくるからと、担当役員を紹介していただいて挨拶にいく。その場で基本を大切にしていることを説明すると、「若いけれど、やらせてみよう」ということになるのです。

 バブルはすでに崩壊していましたが、お付き合いのあった多くの会社にはチャレンジ精神がありました。実績がないのに入れてもらうのは本当に大変でしたが、無名の給食会社であろうと内容が良ければ採用してくれる気骨のある方が多かったのです。

 そうして開拓した現場で、さらに期待に応えるように仕事を継続させるにはどうすればいいのか。そのために重要なのは、やはり現場です。現場を盛り上げるために、率先して自ら動くようにしました。小さい会社だったからこそ、全力を注ぐことができたと思います。

聞き手:國貞 文隆(ジャーナリスト)

新浪 剛史 サントリーホールディングス株式会社代表取締役社長

1959年横浜市生まれ。81年三菱商事入社。91年ハーバード大学経営大学院修了(MBA取得)。95年ソデックスコーポレーション(現LEOC)代表取締役。2000年ローソンプロジェクト統括室長兼外食事業室長。02年ローソン代表取締役社長。14年よりサントリーホールディングス株式会社代表取締役社長。