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平成最後の日だから語りたい、1歳上の“友だち”阪神・中谷将大への思い

文春野球コラム ペナントレース2019【対戦テーマ:平成最後の日】

2019/04/30

 平成の時代で26年間生きてきた僕が、最後の日に語りたいのは中谷将大さんのことです。尊敬、感謝、ダメ出し……いろんな思いがあるんで、ちょっとだけ聞いてください。

 中谷さんのことを一言で表現すれば、友達です。1学年上の友達ですね(笑)。本当にずっと一緒にいましたからね。タイガースには僕が1年遅れて入ってきたんですけど、寮でもお互いの部屋に行ったり来たりして、ずっと喋ってましたね。一緒に買い物もいったりとか、プライベートで一番、一緒にいたのも中谷さんだし、先輩ですけど、良い意味で気を遣わない存在でした。服のことを僕が詳しいと知っていて“これどう思う”とか聞いてきてくれて嬉しかったですし、何でも話せる仲という感じです。

1学年上の友達の中谷将大さん ©西田直斗

一緒にいた時間が長いからこそわかること

 これは怒られますけど、中谷さんってあんまり練習してないイメージもあったりするかもしれないですけど、それは全く違うんですよね。練習が終わっても、1人で素振りしている姿を本当に数え切れないぐらい僕は見てきています。ウエートもめちゃくちゃやってましたから。偉そうなことは言えないですけど、高卒から何年か結果が出なくて、普通ならクビになっていてもおかしくない。でも、中谷さんはあれだけ練習してたから、今でも1軍で試合に出られてると思います。一緒にいた時間が長い分、陰で中谷さんがどれだけ練習してるかは、一番分かってるつもりです。

 1軍で20本塁打した17年も最初の方は2軍で、遠征にも行けていない状態だったんで。ファームの遠征から外れるっていうのは、選手からすればすごいヘコむというか、ああ、もう今年でクビになるんやろなとか思ったりしますからね。それだけ、ショックな出来事なんです。中谷さん自身もすごく辛そうに見えました。16年にファームで3割近く打って、僕からすれば、何で中谷さんが遠征外れんの? と思ってましたけど、そこで今岡さん(当時の阪神2軍打撃コーチ、現ロッテ2軍監督)と居残りで練習してつかんだものがあったんだと思います。

 そしたら、育成試合で3打席連続でホームランも打って、飛距離が見違えるぐらい違った。僕も“何でこんな良くなったんやろ”と思ってたんですけど、やっぱり腐らずに居残り練習でもずっとバットを振って、諦めていなかったからだと思います。1人で頑張ってやっていたから、良い運が回ってきて、今岡さんとも出会えたと思いますし。僕も中谷さんがあんな凄くなってしまって、“何を変えたんですか”と理由をしつこく聞きました。1つ教えてくれたのが、やっぱり素振りが大切ということでした。すごく説得力がありましたね。阪神で一番、素振りしてるんじゃないですかね? 手のマメとか本当に凄いですから。

 1年目からずっと2軍で一緒にやってきて、ファームでも打率が2割いかない時もあった人が1軍で20本もホームラン打って、すごいなと思う反面、あれだけバット振っていたから、これだけの結果を残せるんやなと、納得してた部分もあるんです。16年に中谷さんが1軍でプロ初ホームランを打った時、僕は甲子園であった2軍の試合の後にトレーニングルームで見ていたんです。2軍にいる僕が、他の選手の活躍を喜んだらあかんと思うんですけど、その時は本当にめちゃくちゃ喜びましたね。「ヨッシャー!」みたいな(笑)。自然に出た叫びです。