目のまえを一円玉がころがっていく。死を賭して、ひろいにいくのはなぜか。「つかえないやつは切りすてろ」主義と闘うために、アナーキストの栗原康さんはこんなことを考えている。

――栗原康『執念深い貧乏性』より転載

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 あれはいまから二年まえ、駅から自宅に帰ろうとしていたときのことだ。国道一七号線沿いでひとり信号まちをしていると、ふとズボンのポッケから一円玉がこぼれおちていくのに気づいた。

政治学者・栗原 康さん 

 えっ、どういうことですかっておもうひともいるかもしれないが、わたしはふだん左側のケツポッケに小銭をいれておくクセがあってね。しかもそこまでカネがないわけじゃないんだけど、わかいころからズボンはジーンズ一本しかもたないようにしているんだ。ほら、ちゃんと擦りきれてダメになるまではかないともったいないだろう?

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 でね、たいがい、さいしょに穴があくのが小銭のはいっているケツポッケ。五〇〇円とかデカイのはだいじょうぶなんだけど、五円とか一円とか、どうしてもちっこいのはおっこちてしまう。

 そんでこんときは一円玉さ。チリンチリ~~ン。目のまえを一円玉がころがっていく。

 コロコロ、コロコロころがっていく。アァ、アアァッ!!!

 体中に電流がはしる。一円玉をおいかけて、身体がとっさにうごきだす。テコテコ、テコテコついていく。赤信号、無意識のうちに道路へとびだす。で、一円玉をひろってイヨーシッっておもってわれにかえったら、爆音をたててダンプカーがつっこんでくるんだよね。うひゃあ!!! 死ぬ!死ぬ!

 いや、まだ死ねない。てゆうか、「あいつ一円玉ひろおうとして死んだんだってよ」とか、そんなこといわれたくないからね。そうおもったらすさまじい力がたぎってきて、自分の身体がシャカシャカッってもう人間じゃないみたいなうごきをしはじめた。は、はやい!

 高速だ。ダンプカーをヒョイとかわす。執念深い貧乏性だ。

 あっ、いちおう誤解のないようにいっておくと、オレ、ケチなんじゃないよ。一円玉だって、べつにもったいからとりにいったんじゃない。身体が勝手にうごいただけだ。わたしはよくカネにしばられない生活をするぞみたいなことをいうんだけど、それは禁欲がしたいわけじゃない。カネがあったらあったで、めっちゃつかうんだ。そりゃ、好きなだけ「麦とホップの黒」を飲みたいし、たまにはグシャグシャと肉だって喰らってやりたいからね。むしろ、清貧とかきくとヘドがでる、クソくらえだ。だから、なにがいいたいのかっていうと、あの、チリンチリ~~ンっていう音に反応する瞬発力ってのかな、とつぜん身体に電流がはしり、自分でも信じられないような力を発揮して、ダンプカーをかわしてしまうみたいな、そういう貧乏性を手ばなすなってことだ。

 この社会はおそろしいもんで、ほんとにもうちっちゃいころから、いい中学にいけ、いい高校にいけ、いい大学にいけ、いい企業にいけっていわれてきて、うまくできなきゃ、きまっていわれる役たたず。オチコボレだ。こいつはつかえる? つかえない? ほんとのところ、世のなかのたいはんはそんなにつかえるようになんてなれないのに、みんな役たたずだなんていわれたくないもんだから、自分よりもつかえないやつをコケにして、オレはつかえるんだって猛アピールだ。