東畑開人さんは、沖縄のスピリチュアルな世界をフィールドワークした『野の医者は笑う』で一躍注目を集めた気鋭の臨床心理学者。昨年、自身のうつの闘病体験を通して綴られた「平成」時代史、『知性は死なない』が大きな話題を呼んだ與那覇潤さん。東畑さんは同書に大きな刺激を受け、執筆中、ぜひ今度の本を読んでほしい、との思いで書いていたとのことです。
(全2回の1回目 #2へ続く)
※この対談は、3月19日、デイケアでの勤務経験を通して「居場所」の深層を描いた東畑開人著『居るのはつらいよ』の発刊記念として、代官山 蔦屋書店で開催されたものです。
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うつによる休職から入院、2年間はデイケアへ
與那覇 「デイケアという謎」をテーマに今日はお話しするわけですが、心理学が専門の東畑さんは大学の先生になられる前に、臨床心理士として沖縄の精神科デイケアにお勤めでした。いっぽう、僕はかつて大学教員をしていたんですが、双極性障害のため休職して(入院の後に)2年間ほどデイケアに通い、いまは離職しています。われわれは順序や立場は逆であれ、デイケアと大学の2つにかかわって、それぞれの体験を本に書いている。
学生の志望者数などから考えるに、僕がやっていた歴史学は人文系でも大して花形じゃないんですが(苦笑)、東畑さんが選ばれた心理学に対しては、社会的な期待も当初、大きかったのではないですか。
東畑 はい。90年代は心理学全盛期で、人々が自分の心にとても関心を持った時期でした。高校生の僕も、心理学をやりたいと親に言ったら、「これからは心理学だ! よくぞ見つけた!」という祝祭的雰囲気でしたが、今回の本の終わりにあるように、失職して食うや食わずに(笑)。
あの当時、文化庁長官にもなった心理学者の河合隼雄さんは、「ものは豊かだけど、心はどうか?」と語っていて、それは強い説得力をもっていましたが、その後の日本社会ではリスクのみが豊かになっていて、現在は心について考える余裕が失われているように感じています。