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ただただ、無駄に飯を食べると、友達になれます

與那覇 ボードゲームが回復の上でよかったのは、「自分と他人」の境界が溶けていくところだと思うんです。僕が買ってきたゲームなら、当然僕が1番ルールに詳しい。でも、だからって僕が毎回勝ちまくったら、僕自身が全然面白くないでしょう。「ルールを知らない人」「ゲームは苦手な人」も一緒に混じって、あ、でもみんな(=他人)が楽しんでくれたんだな、となってこそ、自分の楽しさも最大になる。

 そうした体験を踏まえてみると、東畑さんの本でもみんなが食事したり、スタッフが打ち上げで泡盛を飲むシーンが僕は大好きなんですね。苦手なメニューでも友達がおいしそうに食べていたら、あたかも自分が食べたかのように嬉しくなるし、下戸の人だって周りがお酒で盛り上がっていたら、やっぱりハイになるじゃないですか。

「自分と他人は別の存在」というのは常に真ではなく、複数名を包み込む共通の1つの身体があって、その身体が食べたり飲んだりして楽しむ。そんな体験に気づく場として、僕の場合は入院やデイケアがあったんです。

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東畑 ただただ、無駄に飯を食べると、友達になれる、至高の真実です(笑)。

©山元茂樹/文藝春秋

與那覇 つくづく思うんですが、直線的な時間にはしばしば、こういった共通の身体を引き裂く副作用がありますよね。「頼れるのは自分だけ。だから自分が不断に成長するしか勝ち続ける方法はない」的な。自己啓発本とかは、ほぼ全部それで書かれてる。

 成長を否定するつもりはないですが、しかしそこまで「自分」を周囲と切り離してしまうと、かえって成長できないのじゃないですか。とりあえずここに居れば、最低限の生活と尊厳は確保される。そういう円環的な要素がないと、プロジェクトを起こしてもメンバーのエゴと相互不信で破綻してしまう。大学勤めのあいだ、よく目にしたパターンです(苦笑)。

東畑 面白いですね。円環的な時間が相互の信頼を作り出す。そういう意味で、デイケアって全く違う属性の人同士が友達になれる場所だと思うんです。年齢が違うと普通は先輩後輩とか縦の関係――ヒエラルキーになるけど、デイケアでは高校生と老人がコーラを分け合ったりしている。一緒に暮らしているから、細かく助け合っているうちに、友達になってしまう。

臨床心理学者・東畑開人×歴史学者・與那覇潤対談 #2へ続く

知性は死なない 平成の鬱をこえて

與那覇 潤

文藝春秋

2018年4月6日 発売