50年の歴史において、唯一無二の存在に
改めて、「ヤクルト50年」の歴史を考えてみる。一体、村上宗隆は誰の系譜に該当する選手なのか? 先ほど僕は「村上を見ているとホーナーを思い出す」と書いたけれど、厳密に言えば、2人の共通点はほとんどない。村上は左打ちだし、ホーナーは右打ちだ。もちろん足の速さも違うし、国籍も違うし、打者としてのタイプも微妙に異なる。では、歴代ヤクルト戦士の中で、誰に似ているのかを考えてみても、まったく答えが浮かばないのだ。
そもそも、「左の日本人大砲」という概念が、これまでのヤクルトにはなかった。外国人選手で言えば、チャーリー・マニエルやジャック・ハウエル、ロベルト・ペタジーニなど「左の外国人大砲」の顔は何人か浮かんでくるけど、左打者で豪快な一発が期待できる日本人選手というと、せいぜい杉浦享氏ぐらいしか浮かんでこない。でも、杉浦さんと村上は、やはり同じタイプには思えない。
むしろ、他球団ではあるけれど、横浜DeNAベイスターズ・筒香嘉智に近いイメージが強い。また、背番号《55》といえば、元巨人の松井秀喜氏の雄姿もよみがえる。ちなみに、ヤクルトの背番号《55》といえば、長い間、野口祥順がつけていたけれど、村上とはまったくタイプの異なる選手だった。つまり、ヤクルトにはこれまで、スラッガータイプの日本人左打者はいなかったのではないか? ヤクルト50年の歴史において、唯一無二の存在感を誇る男、それが村上宗隆なのではないか?
本人は「まだまだ足りないものだらけ」と言い、シーズン中でも早出特訓を続けているという。小川淳司監督は「打撃に関してはよく頑張っている」と評価しつつも、課題である守備に関しては「まだまだ練習する必要がある」厳しい評価を下しているが、それは本人が重々自覚している。村上は言う。「まだまだ実力は足りないですけど、その分、伸びしろは十分にあると思います」。僕にとっては、ボブ・ホーナー以来の興奮と高揚を感じさせる19歳は、まだまだ進化の速度を緩めない。彼が打席に入るたびに、何とも言えない恍惚感を覚える。だから、僕は今日も神宮に通うのだ。頑張れ、村上! 頼むぞ、村上! 泥沼の連敗街道から抜け出す豪快な一発を、僕らは待っている。
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