――クローザーの楽しさ、そして大変さを教えて下さい。

 そんな質問を投げかけると、石山泰稚は小さく微笑みながら口を開いた。

「楽しさはないです(笑)。責任重大な役割なので楽しさはないですね。勝ったときにホッとはするけど、楽しくはないです」

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 短いコメントの中に、三度も「楽しさはない」と繰り返す実感のこもった言葉。続けて、「では、やりがいはありますか?」と問うと、石山は迷うことなく即答する。

「やりがいはすごくあります。でも、それ以上に難しさの方が大きいです。やっぱり、先発、中継ぎ投手たちが、みんなで試合を作ってくれた場面で、自分が台無しにしたり、負けたりしたら、“申し訳ない”というだけでなく、“どう取り返していいかわからない”とかなり落ち込みます。でも、勝利したときにはみんなが笑顔で迎えてくれるので、とても難しいけどやりがいはすごくありますね」

「9回・石山」は不動です

 ルーキーイヤーの2013(平成25)年は、チーム事情からシーズン途中にクローザーを任された。翌年からは、先発投手としてローテーションの一角を担ったものの、16年に右ひじを故障すると、以降は中継ぎ投手としての役割を与えられた。そして、昨シーズンはセットアッパーとして開幕を迎えたが、クローザー候補だったカラシティーの不調により、シーズン途中からクローザーに転向。チームが2位に躍進する原動力となった。そして今年――プロ入り以来、初めてクローザーとして開幕を迎えることとなった。

 開幕前に小川淳司監督に「勝利の方程式の構想」を尋ねると、指揮官は言った。

「リリーフ陣に関しては、《9回・石山》は不動です。その上で、去年のように7回、8回を梅野(雄吾)、近藤(一樹)だけに固執せずに、ハフ、マクガフ、五十嵐(亮太)ら調子のいい投手を起用するつもりです」

 この発言にあるように「9回・石山」は指揮官にとって、チームメイトにとって、そして、ファンにとっても、すでに「前提条件」となっている。それほどの信頼と実績を兼ね備えた男――それが、我らが頼れるクローザー・石山泰稚なのである。しかし、その石山が「上半身のコンディション不良」という理由で、5月6日登録抹消されてしまった……。

「上半身のコンディション不良」で登録抹消された石山泰稚 ©文藝春秋

遅れてきた「ハンカチ世代」の実力者

 1988(昭和63)年生まれ――。翌年から平成が始まろうというこの年に誕生したプロ野球選手にはスターが多い。甲子園で奮闘し、日本中にさわやかな感動をもたらした斎藤佑樹(日本ハム)の活躍から「ハンカチ世代」と呼ばれたこともある。あるいは、その甲子園大会決勝において斎藤の好敵手となり、後に東北楽天ゴールデンイーグルスで大活躍、現在はヤンキースの主軸となっている田中将大の愛称をとって「マーくん世代」と称する向きもある。

 この二人だけではなく、他にも88年生まれは多士済々だ。前田健太(ドジャース)、坂本勇人(巨人)、澤村拓一(巨人)、柳田悠岐(ソフトバンク)、秋山翔吾(西武)、會澤翼(広島)、大野雄大(中日)ら、枚挙にいとまがないほどの顔ぶれが並ぶ。ヤクルトで言えば、上田剛史、あるいはすでに現役を引退した増渕竜義もこの世代だ。ちなみに、中京高校から高校生ドラフト4巡目で横浜入りし、現在では文春野球・DeNAで健筆をふるう高森勇気(現・勇旗)氏も88年組だ。

 才能あふれる選手が並ぶ88年生まれでありながら、アマチュア時代の石山は大きな注目を集めていたわけではなかった。団体戦では全国優勝の経験を誇るほど少林寺拳法に夢中になっていた幼少期。小学5年で野球を始めてからは目立った活躍はなかった。昨年の甲子園大会で、吉田輝星(日本ハム)を擁して旋風を巻き起こした金足農業高校時代には甲子園出場はかなわなかった。同学年の田中将大、斎藤佑樹については、「別世界。雲の上の存在でした。自分自身がプロになろうという考えはまったくありませんでしたね。当時はそんなレベルではありませんでしたから」(『週刊ベースボール』・12年12月17日号)と、石山は振り返る。

 東北福祉大に進学後にようやく台頭し、プロへの憧れが強くなった。しかし、大学4年時にプロ志望届を提出したものの、どこからも声はかからなかった。悔しい思いを抱いたまま、2年後のプロ入りを目指して社会人のヤマハに進んだ。エースとして2年連続都市対抗出場に導いたことで、ようやくプロへの道が開け、12年ドラフトにおいてヤクルトから1位指名を受けるに至った。環境が変わるたびに少しずつ、しかし着実に力をつけていった男。遅れてきた88年世代。石山泰稚には反骨精神、負けじ魂が宿っているのだ。