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『セーラームーン』『こどものおもちゃ』から考える、平成の少女マンガはなぜ“弱い少年”に恋したのか

内面に目を向ける時代に、発見された欲望

2019/04/30
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恋をする前に、自分の過去に引きこもってしまう少年たち

「ただの平凡なヒロインが、強くやさしいヒーローと結ばれる」ことをハッピーエンドとした昭和の少女マンガ。しかし平成になると、少女たちは急に「えっ、ヒーローが引きこもりだしたんですけど!? ちょっとまって、私のほう向いてよ! まずはきみを外に引っ張り出すことから始めなきゃ! ていうか私のほうが強くやさしくならなきゃ~!」と焦り始めたのである。だって相手は、恋をする前にまず自分の過去に引きこもってしまうのだから。

 

 宗方コーチもミロノフ先生も少尉も、平成にはもう、いないのだ。彼らはいつのまにか、トラウマを背負った同世代の少年に取って代わられていた。

少女マンガの主人公は、少年の弱さの先に何を見たか

 ではなぜそのような描写が増えたのか。というより、実際に平成を生きた少女マンガの読者たちは、何をその物語に求めたのだろう。社会の変化などという言説に頼るのは簡単だけど、もう少し少女マンガ側から眺めてみたい。平成の不朽の名作『こどものおもちゃ』(小花美穂、集英社)にスポットライトを当てよう。

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『こどものおもちゃ』は、小学生女児向けの雑誌『りぼん』で連載されていたにも関わらず、子役ブーム、学級崩壊、家庭内不和、離婚、シングルマザー等の社会問題を描く。『りぼん』の雰囲気とは裏腹のシビアな設定にも関わらず、小学生ながら人気子役タレントである主人公をはじめとするキャラクターの底抜けの明るさと強さが多くの女の子の心を惹きつけていた。

こどものおもちゃ (1) (りぼんマスコットコミックス (791))」(集英社)

 この物語、序盤で『こどものおもちゃ』の主人公・小学生の紗南は、同級生の問題児である羽山の家庭の問題に携わる。が、その先で物語が進むにつれ、紗南自身も自分の過去にトラウマがあったことを発見する。

 一見明るそうに見えるが、どちらも過去にトラウマや精神的な弱さを隠し持っている紗南と羽山。ふたりは自分たちの内面の発見を通して、恋愛関係になってゆく。ここから見えるのは「少年の弱さに目を向けた先で、自分の弱さを発見する少女の姿」だろう。つまり平成の少女漫画に登場する主人公は、弱いヒーローに自らを投影していた。彼女自身の弱さがすくわれる気配がないことを悟り、まずは少年の弱さをすくっていたのではないか。

内面に目を向ける「平成」という時代に発見された欲望

 考えてみると、「白馬の王子様」というのは、一見かっこよくていい想いをさせてくれそうだけれど、その一方で自分の内面に深く関わってくれるかと言われれば……首をかしげてしまう。

 1990年代、つまり平成という時代の幕開けから始まる、アダルトチルドレンという言葉や精神分析等の思想の流行を鑑みても、「表面的な社会的ステータスなどの幸福だけでなく、内面に目を向けて幸福になりたい」という思想が広まっていた。

 その時、少女マンガははじめて「男の子にも女の子の内面を見てほしい」「だけどなかなかそれは達成されないから、まずは自分が男の子の内面を見よう」という欲望を発見したのではないだろうか。まぁ、「自分の内面を受け入れてほしい」なんて欲望はもしかすると、ただお金持ちでやさしくてかっこいい白馬の王子様を発見するより、もっと難しいことかもしれないけれど。

 私たちは少女マンガを読み、少女の欲望とその挫折を知る。平成が終わり、次の時代に変わってゆくとき、少女たちは……何を夢見るのだろう。

『セーラームーン』『こどものおもちゃ』から考える、平成の少女マンガはなぜ“弱い少年”に恋したのか

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