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5人のラストライブでケンカになったワケ

――2015年7月12日に行われた中野サンプラザホール公演をもって秋元さん、富永さん、早坂さんがグループを卒業しましたが、ステージ上で5人の間での行き違いがあって口論になってしまいました。コミュニケーション不足だったんでしょうか?

高橋 そうだったと思います。大人の方の考えもあって、メンバー同士でコミュニケーションをとれない時期があったんです。そのままの状態で中野サンプラザのライブを迎えてしまったので感情が爆発した、という感じでした。

「メンバーだけで話さないように」と言われていたけど、大人の言うことを真面目に聞きすぎていたと思うんです。その真面目さが悪い方向に動いてしまったのかもしれないです。いま思えばそんな決まりは気にせずに話せばよかった、5人で話せばよかったんですよね。

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――あの場で高橋さんは中立のスタンスでしたよね。

高橋 どちらの言い分もわかるから心が痛くなって泣きそうでした。ただ、ファンのみなさんに見せていいものじゃないので、ステージ上で言い合うことは間違っているなと思って。5人のドロシーとして最後までやりきりたかったんです。歌とダンスで幸せを届けるという原点に戻りたかったから。

 

5人から1人になっても「ドロシーリトルハッピーでいたかった」

――ドロシーは高橋さんと白戸さんの2人体制になりました。

高橋 5人でやっていたことを2人でやるって単純に人が減ってマイナスになった、ということになってしまうじゃないですか。最初はどうマイナスに見せないようにできるか考えていたけど、「マイナスに見せないのもおかしいんじゃないか」と思いはじめたんです。3人がいたことは事実で、その影を消すことはできないから。5人のドロシーも大切にしつつ、2人で新しいドロシーを作っていきたいという気持ちが強かったです。

――離れてしまうファンの方もいましたか?

高橋 だいぶ“サヨナラ”した方が多かった気がしますね(笑)。3人を応援する方、2人を応援する方、両方を応援する方、それぞれいたんですけど、そのまま離れてしまう方も多かったと聞いて。寂しさもあったけど、「5人のドロシーを好きでいてくれたんだな」とも感じました。それだけ5人のドロシーが魅力的だったのかなと思ってます。

――さらに白戸さんが卒業されて(2017年7月23日)、高橋さんひとりでドロシーリトルハッピーを名乗ることになります。ここでドロシーをおしまいにする選択もあったと思いますが。

高橋 ひとりになってできることなんてあるのかなと思っていたけど、もうちょっとドロシーリトルハッピーでいたい、という気持ちだけでした。ドロシーリトルハッピーが自分の苗字だと思っていたので、失くしてしまうことが考えられなかったんです。

――ひとりでグループを背負う重さもあったと思います。

高橋 責任が重かったです(笑)。でも続けると決めたからには、ドロシーリトルハッピーの名前をもっと知ってもらえるように頑張らなきゃいけないから。活動していくなかで「ドロシーってひとりになったんだぁ」という声は心に刺さりました(笑)。言われて当然のことだけど、ネガティブに受け止めてしまったんです。

――それでも笑顔で活動していたわけですよね。

高橋 そうですね。歌とダンスで観ている人を幸せにしたいという気持ちが勝っていたので。