ももいろクローバーZやでんぱ組.incがブレイクしたアイドル戦国時代、東京以外の都市を拠点にしたグループの活躍も目を惹いた。
なかでも、宮城県仙台市を拠点としたドロシーリトルハッピー(Dorothy Little Happy)は、TOKYO IDOL FESTIVAL(TIF)2011でのパフォーマンスが話題になり、ファンに「見つかった」グループだ。
彼女たちの意識を変えたのは、東日本大震災から1カ月後に仙台で行われたチャリティーライブだったという。昨年12月にグループを卒業した高橋麻里さんにローカルアイドルとしてのドロシーの躍進とその後について聞いた。(全2回の1回目/#2へ)
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ローカルからブレイクしたPerfumeをめっちゃ意識した
――高橋さんは小さい頃から歌うことが好きだったんですか?
高橋 好きでしたねぇ。両親の影響でアイドルが好きになったんです。3歳の時、モーニング娘。さんのライブをお父さんに肩車してもらって観た思い出があります。『ザ・ピース!』の頃だったかな。小学4年生の時に松浦亜弥さんが好きになって、仙台サンプラザで観たライブがきっかけで「自分もアイドルになりたい」と思いはじめたんです。
――松浦亜弥さんは歌が上手いですよね。
高橋 そこは重要だったと思います。「歌が上手くて、踊れて、かわいくて、いつも元気」という自分が目指すアイドル像が形成されました。
――11歳で仙台にあるモデル・タレント事務所のステップワンに入ります。
高橋 仙台のローカル紙に「キッズモデル募集」と載った広告がきっかけです。歌やダンスのレッスンも受けられると知って応募しました。
――宮城県民にとってステップワンは有名な事務所だったんでしょうか?
高橋 当時はいまほどアイドル文化が浸透していなくて。私が言うのもなんですけど、ドロシーができてから知られるようになったと思います(笑)。
――アイドルを輩出している事務所としてアクターズスクール広島は意識していましたか?
高橋 Perfumeさんがローカルアイドルからブレイクしたことでめっちゃ意識してました。スタッフの方からPerfumeさんのライブ映像を観せてもらって「いいところは学びなさい」と言われたこともあります。