2011年のステージでも「震災のことを強調しなかった」
――そのTIFでは、ステージを重ねるごとにお客さんが増えて熱が上がっていく実感はありましたか?
高橋 あんな目に見えてお客さんが増えて、強い視線を感じることは初めてでした。「この子たちは誰なんだろう」という目が『デモサヨナラ』を歌った瞬間に変わって、コールの音量も上がっていったんです。
――ステージで震災のことを強調するわけでもなかったですよね。
高橋 震災から1カ月後に活動を再開して地元でチャリティーライブがあった時、被災地から応援しにきてくれた方に「元気が出ました」と言われたんです。大変な状況でも応援してくれる方がいることを体感して、「私たちが悲劇のヒロインになってもしょうがない。いまやるべきことは歌とダンスでみんなを元気づけることだ」と意識が変わったんです。
――TIF後はライブの集客数が変わったと思います。
高橋 一気に増えましたね。ワンマンライブが初めてソールドアウトして、単純にうれしかったです。
――ドロシーは地に足がついたグループだったから、その後も人気を維持することができたんだと思います。
高橋 好きになってくださった方を後悔させたくないし、「ドロシーの輪をもっと広げたい」という想いが向上心につながったのかなと思います。
アイドル戦国時代「あのグループがすごかった!」
――ドロシーの5人は真面目でしたよね。
高橋 真面目でした(笑)。5人で話していてもプライベートの話がほとんど出なくて、仕事の話ばかりなんです。当時はそれが普通だったけど、いま思えばそれだけ真剣に仕事に向き合っていたんでしょうね。ある対バンライブで褒められたことがあったんです。「スタッフや他の出演者とすれ違った時に挨拶するアイドルは多いけど、掃除のおばさんにも立ち止まって挨拶しているアイドルは初めて見た」って。自分たちにとっては当たり前だと思っていたけど、見られているんだなと感じました。
――ドロシーとして対バンライブに出演することも多かった。
高橋 自分たちの出番が終わっても、モニターや客席の後ろで他のグループのパフォーマンスを観させていただきました。ライブが終わった後も、その日の映像を観て「この曲のここがいいよね」とメンバーと話していたんです。ただ、人見知りを発揮して友達ができなかったんですよ。逆に、対バンしていたアイドルに後から「怖くて話しかけられなかった」と言われたこともあります。あの頃は「話しかけないでほしいオーラ」を出していたみたいです。@JAM主催の海外ライブが終わった後の打ち上げでも、「お疲れ様です」と言って黙々とご飯を食べてましたから。そういう時代だったんだと思います。
――「このグループはすごかった!」というと?
高橋 レーベルメイトの東京女子流さんは宮城出身の新井ひとみちゃんがいることもあって意識していたし、アプガさん(アップアップガールズ)はマネージャーさんが厳しくて「超体育会系じゃん!」と思いましたね(笑)。でんぱ組さんは、みなさん礼儀正しくて「いい人」たちなんですよ。大きなステージに行かれたので、「売れる人たちはちゃんとしているんだな」と感じました。