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元ドロシーリトルハッピー高橋麻里の告白「ローカルアイドルとしてPerfumeをめっちゃ意識してた」

高橋麻里さんインタビュー#1――アイドル戦国時代を振り返る

2019/05/12
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高校受験のとき芸能界をやめるつもりだった

――高橋さんが入る時からステップワンはライブイベントを開催していたんですか?

高橋 すでに5つくらいのグループがあってライブをやっていました。私は歌もダンスもゼロの状態から入ったので、最初は底辺でユニットに選ばれることもなくて。レッスンのたびに自分がふがいなくていつも泣いてました。ちょっとずつ上手くなって「ライブに出たいな。ユニットに入りたい」と思うようになったんです。

――その結果、ユニットに入れたわけですよね。

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高橋 1年後くらい B♭(ビーフラット)に入ったんですけど、私にとっては奇跡みたいなものでした。

――さらに、高校1年生でドロシーリトルハッピーのメンバーに選ばれました。

高橋 その前に高校受験をきっかけに芸能界をやめようと思ったんです。受験勉強のためにお休みを1カ月いただいたんですけど、自分の時間が作れることがわかって「ここが区切りかな」と思いはじめたんです。事務所にその挨拶しにいくと「メジャーデビューできるグループを作る計画もあるからやめないでほしい」と言われたんです。少し悩みつつ続けることにしたら、ドロシーのメンバーに決まって。

 

ブラックサンダーで飢えをしのいだ東日本大震災

――高1でやめなくてよかったですね。

高橋 はい。あの時の自分に感謝してます(笑)。そもそもドロシーに選ばれないと思ってましたから。逆に、他の4人は「選ばれるだろうな」というメンバーで、「私は見る目があるな」と思いました(笑)。

――2011年3月16日にミニアルバム『デモサヨナラ』でメジャーデビューすることが決まりましたが、東日本大震災によりリリースイベントが中止や延期になってしまいます。

高橋 震災が起きた当日はグループのことを考えられなかったというか、自分の生活のことでいっぱいいっぱいで。

――高橋さんの生活にはどんな影響がありましたか?

高橋 ガスも電気も止まっていたので避難所で一日過ごすことになって、普通の生活に戻るまで1週間くらいはかかりました。コンビニで買い物するにも5時間くらい並ばなきゃいけないので、震災前にファンの方から送っていただいた大量のブラックサンダーを食べて飢えをしのいだりしました。SNSでの発信も悩みました。明るいことを書いても良く思わない人がいるかもしれない。自分の言葉がどう伝わるんだろうと考えた時期でもありました。

――メンバーと再会できたのは……。

高橋 3週間後くらいでした。「早くファンの方に会いたい」と思いながらレッスンを再開しましたが、ドロシーリトルハッピーの軸となるものがこの期間に生まれたと思います。あの経験がTIF(TOKYO IDOL FESTIVAL 2011/ 2011年8月27日、28日)のパフォーマンスにつながったんです。