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「やりたいことが見つからない」症候群は現代の病なのだろうか

やりたいことがなければいけないの?

2019/06/03
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やりたいことがなければいけないの?

 しかし、夢に向かって日々自らを研鑽している立派な人たちにそういう風に言われ続けると、だんだん自分の人生を否定されているような気がして、「自分はつまらない人間で、思考停止をしたまま怠惰に生きているのではないか」という思考にとらわれるようになりました。

 今思えばあれは強迫観念に近いもので、それからの私は常に「早くやりたいことを見つけなければ幸せにはなれない」と焦燥感に駆られ、「この仕事を続けて行き着く先はどこなのか」と自問自答を繰り返しました。しかし結局、気がつけばそれから2年以上の月日が経ち、やりたいことが見つかるよりも先に心身の不調が悪化したため、やむなく仕事を退職することになったのでした。

幸せな人生って何なんでしょうね ©吉川ばんび

 やりたいことがなければ、好きなことを仕事にできなければ、人生は不幸なのでしょうか。

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 私が就職活動をしていた6年前くらいにはすでに「やりたいことを仕事にしよう」みたいなムードはあったものの、個人的な体感では、3~4年ほど前からSNS上や求人サイトなどにおける「好きを仕事に!」的ムーブメントは、年々過熱し続けているように思えます。

第三者が口を挟む行為ほど野暮なことはない

 終身雇用がいよいよ期待できなくなったからなのか、誰もが気軽に発信できる時代になって働き方の多様性が可視化されたからなのか、転職求人サイトを運営する人材サービス会社の大いなる陰b(中略)、はたしてこのムーブメントはいつから始まって、いつまで続いていくのでしょう。

これが本当の優しい世界 ©吉川ばんび

 もしもみんなが「好きを仕事に」できれば、確かにそれはとても優しい世界になるでしょうけれど、いろいろな事情があってそうできない人もいるのは事実としてある中で、そういった人たちに対して第三者が「そんな生き方はつまらない」とか「やりたいことがないなら探せよ」と口を挟む行為ほど野暮なことはないんじゃないかと思います。

「今の仕事にやりがいを感じないから、どうにかしたい」という人に「やりたいことを探してみるのはどうか」と提案するのはいいことだと思うけれども、自分の状況を鑑みたうえで信じた道を進もうとしている人にまでこうした思考を押し付けるのは、それはもうエゴ以外の何物でもないんじゃないでしょうか。