ある日のこと。試合開始にはまだ時間がある昼過ぎの神宮球場。午前中に行われたあるインタビューを終え、球場を後にしようと信号が変わるのを待っていると、横断歩道の向こうには同じく信号待ちをしている私服姿の原樹理の姿があった。信号が青に変わる瞬間、彼もこちらの存在に気づき、笑顔で会釈を交わす。彼が渡って来るのを待って、少しだけ立ち話をする。前日の登板について、現在の調子について、そして今、取り組んでいることについて……。そして、彼はこんなことを口にした。
「最近、トモさんとは連絡を取っているんですか?」
原樹理と伊藤智仁のチームを超えた師弟関係
トモさん――ヤクルトの前投手コーチ・伊藤智仁のことだった。昨年、原樹理にロングインタビューをした際に、彼はしばしば「トモさん」というフレーズを口にした。伊藤智仁の半生を描いた拙著『幸運な男~伊藤智仁 悲運のエースの幸福な人生』(インプレス)の読者でもあり、昨年、富山GRNサンダーバーズ監督時代の伊藤が「文春野球」に登場した際の記事も丹念に読んでくれていた原樹理。彼が伊藤のことを心から尊敬していることは、僕もよく知っていた。かつて、伊藤がヤクルトを去ることが決まった際の心境を尋ねたときには、「心にポッカリと穴が開いたような感じがした」と語ったこともある。
一方、現在は東北楽天ゴールデンイーグルスの投手コーチを務める伊藤智仁もまた、原樹理の実力を評価し、その才能の開花に大きな期待を寄せていることを、本人から何度も聞いていた。2017(平成29)年シーズン限りで、ヤクルトのユニフォームを脱いだ伊藤は、チームを去る際にこんな言葉を残している。
「ヤクルトを去ることに未練はないけれど、強いて言えば原樹理と星(知弥)が成長していく様子を間近で見ていたかったよね……」
昨年の文春野球ヤクルトのメンバーでもあった伊藤智仁は、ことあるごとに原樹理について、「彼のポテンシャルはハンパない」と話していた。なかなか結果を残せないことについては、「もどかしくて仕方がない」と嘆き、「それでも一度勝ち始めたら、面白いように勝てるようになる」と力説した。そして、こんなことも言っていた。
「コーチ時代は、“みんなに平等に接する”という思いがあったので、公言することはなかったけれど、僕がもっとも期待し、もっとも飛躍を楽しみにしていたのが原樹理でした」
原樹理、そして伊藤智仁――。現在、それぞれ所属するチームは違えども、二人は、互いに敬意を抱く間柄の「師弟」なのである。そして今回、その「師弟」が久しぶりの邂逅を果たした。場所は福島県郡山市、ヨーク開成山スタジアムだった。
QSは達成したけれど……
原樹理の立ち上がりは上々だった。一番・茂木栄五郎を空振り三振に仕留め、三番・浅村栄斗は見逃し三振。しかし、3回に2点を奪われ、試合の主導権を楽天に奪われてしまうと、5回には、三番・浅村に前進守備の隙をつくタイムリーヒットを喫して3点目を失った。その後も粘り強いピッチングは続けた。何とか自軍の反撃を待つべく、懸命に投げ続けた。けれども、力投は報われなかった。6回2/3を投げて3失点、7回途中降板。QS(クオリティスタート)は達成したものの、打線の援護は山田哲人の豪快なソロアーチだけで、(3勝)6敗目を喫した。
いいピッチングをするけれども、結果が伴わない。まさに、これまで伊藤智仁が何度も口にしていた「もどかしいピッチング」だった。この日、攻撃陣の精神的支柱であり、打撃好調の青木宣親は「休養日」ということで、スタメン出場はしなかった。先発投手が早々に打ち崩され、何とか中継ぎ陣の踏ん張りで試合を成り立たせている現状。その中で、ブキャナンとともにQSを計算できる数少ない投手の一人である原樹理が先発するときには「フルメンバー」で戦ってほしい、と考えてしまうのは彼のファンだからこその、贔屓の引き倒しなのだろうか?
いずれにしても、原樹理は6敗目を喫し、楽天は見事に勝利した。この日の結果について、彼は何を思ったのだろう? そして、伊藤智仁コーチは、三塁側の楽天ベンチから、彼のピッチングをどのように見たのだろう? 原の伊藤に対する「恩返し」は、この日は実現しなかった。これからも続く野球人生。いつか必ず、「恩返し」をする瞬間はやってくると信じたい。それがこの日ではなかったことが悔しい。結果がすべてのプロの世界において、先発投手として、きちんと試合を作った。それでも負けた。それがこの日のすべてなのだ。