「あの盗塁がなければ同点のチャンスすら生まれなかったのだ」
試合終了の瞬間だけがクローズアップされていますが、1死三塁というチャンスは植田の“超ビックプレー”がなければ生まれませんでした。先頭打者のマルテがレフト前ヒットで出塁し、その代走として起用されたのが植田です。ロッテは釘を刺すように、けん制を4回も繰り返しました。そんな『超警戒態勢』をかいくぐり、植田は二盗を成功させたのです。
アウトになれば反撃ムードが一気にしぼむ場面です。それに、あの試合に限れば「走塁だけ」が植田の仕事。失敗したら……。というプレッシャーは相当だったはずです。それでもスタートを切り、勝負に勝ち、続く梅野のセカンドゴロで三塁に進み、あの場面を作ったのです。
矢野監督は2軍監督だった昨年から「超積極的野球」を掲げ、トライして、失敗しながら成長できる空気を作ってきました。あのシーンは100点満点でないけれど、盗塁を決めた事実にまず目を向けて、それから「じゃあ次は、あそこで戻れるようにしようか」と成長を促す。それが強くなる最適法だと考えているから「責めることはない」と言ったのだと思います。
「あそこで戻っていれば」という議論を終わらせ、成長の機会と捉えて前に進むチームがいるのだから、わたしたち周りの人間は「あの盗塁がなければ同点のチャンスすら生まれなかったのだ」という議論をすべきだと思うのです。
そうやって、チームと足並みを揃えてトライしやすい空気を作ることができれば、選手が、チームが成長し、いつか、圧倒的な強さを見せてくれるのではないかと思うです。
そこで例えば植田がとてつもない好走塁を見せてくれて、「あのロッテ戦の飛び出しがなかっ“たら”、こんな走塁は生まれなかったかも」という良い「たられば」の議論ができれば最高ですよね。「たらればなんて意味がない」と思っていましたが、考え方によっては必要かも、と思った話でした。
巻木周平(スポーツニッポン記者)
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