「テレビはつまらない」「テレビ離れ」など、今テレビが置かれている状況はとても厳しい。そんな中「めっちゃテレビっ子です!」という音楽クリエイターのヒャダインさん。いまやテレビに“出る側”としても大活躍ですが、いち視聴者としてのテレビの見方と出演者としての見方はどう違うのか? お話を聞いてみました。
――子供の頃影響を受けたテレビ番組とか出演者は?
やっぱり『ASAYAN』のつんく♂さんはめちゃくちゃ影響を受けましたね。自分のプロデュースワークとか、女の子を輝かせる方法とかはめちゃくちゃ影響は受けてます。
――具体的にはどんな?
どういうふうに歌うかっていうボーカルをディレクションする仕方を映す番組って他にはなかったんですよ。あと女の子同士の戦いだったり、誰をセンターに持ってくるかとか、それに大人がどう介入するか、それをつまびらかにしていた部分が面白いなと思って、今の仕事にはすごく活きてますね。
あとはやっぱりタモリさんはめちゃくちゃ影響受けますよね。タモリさんの名言の一つである「やる気のある者は去れ」。がんばらない、適当にやることの重要さというのをタモリさんからは学びましたね。
友だちと遊ぶくらいならテレビを見ていたかった
――ヒャダインさんは幼い頃からピアノをやられてましたよね。練習、練習でがんばらなければならない世界だったと思いますが苦しくなかったですか?
いや、楽しかったですね。運動神経が全くなくて、そういった遊びがお友だちとできなかったので、その空いた時間だったりとか、フラストレーションだったりをピアノの練習に当ててた部分がありますよね。ピアノが友だちみたいなもんでしたからね。楽しかったですね。
――ピアノが弾けるとクラスのスターになったりとかするじゃないですか。
一瞬ですね(笑)。これ弾いて、あれ弾いてと言われて弾いたら、「わー!すごい!」となるだけであって。だからと言って、永続的に続くものではないし。友だちと遊ぶくらいならテレビを見ていたい、というのはありましたしね。テレビ面白いじゃないですか。周りの友だちは文化レベル低いし(笑)。誰ともテレビの深い話はしませんでしたね。誰とも分かちあえない(笑)。
――周りを見下していた感じ?
そうですね。よくなかったですねえ(笑)。見下した結果、孤立してしまった部分はありますからね。
――やっぱり新聞のテレビ欄をくまなくチェックしていたんですか?
テレビ雑誌を買っていました。小学校の頃は新聞だったんですけど、中学くらいから『テレビブロス』を。当時は広告のページが多かったので、まずその部分を外して捨てて、それでテレビ欄とかお勧めを見て、(読者投稿コーナーの)「ピピピクラブ」とか見て。“ブロスっ子”でしたね。
――いまやその雑誌で連載されてますからね。
ねー(笑)。本当にいい人生だなぁと思っています。テレビ好きだったから『新春テレビ放談』とかも呼んでもらったし。周りはみんなテレビの制作の裏側にいる人たちなのに、ぼくはただのテレビウォッチャーで、いいのかな? と思いつつ出てたんですけどね。