転機となったつんく♂のひと言
スマイレージがデビュー5年でアンジュルムと改名したのは、それまでハロプロの総合プロデューサーを務めてきたつんく♂が退いた時期と重なった。このころ、和田はつんく♂から「自分でプロデュースできるようになりなさい」と言われたという(※2)。
前出の『アンジュルムック』のインタビューのなかで、和田は《ライブ中に自分を出せるようになったのは、二十歳前後ぐらいなんですよ》と語っているが、これもアンジュルムへの改名時期と重なる。それまで彼女のなかでは日々活動を続けるなかで違和感を抱くこともあったが、自分の疑問に対し、「これはこういうことかな」と答えに近いものを見出せるようになったのは、美術と出会ったからだという(※3)。きっかけは、高校1年のときにフランス印象派の画家マネの展覧会に行き、すっかりその絵に魅せられたことだった(※1)。大学に入って美術史を専攻すると決めた彼女は、芸能活動で多忙をきわめながらも、高校の先生の熱心な協力もあって受験勉強を続け、無事、美術系の大学に合格する。美術から学んだことを、彼女はこ
《それまでハロプロの中で育ってきて、自分が狭い世界にいた感じはしていなかったんですけど、そうじゃない世界を美術を通してちょっとずつ知っていくと、「もっともっと広い世界があるんだな」ということに気づいて。大学でも美術史を専攻して、いろんなことを教えてもらって、もっともっと自分で「外の世界ってどうだろう」って、見つけていくじゃないですけど。いろんなところを見てみたり、調べたりするようになって。そうすることによって、たぶんスマイレージの頃とは違う自我が芽生えたし、違う自分にもなったんじゃないかなと思います。その頃から「自分はこう思う」っていうのを少しずつ伝えられるようになりました》(※3)
大学受験のため仏像についても勉強し、関心を深める。最近、アンジュルムからの卒業を前に、仏像ファンの大先輩であるみうらじゅんと対談した。そこで、みうらから「(アイドルとは本来偶像という意味であることから)偶像というのは、人々に夢を与えたり幸せな気分にさせるものの象徴だと思うんです。そのことに対する心構えってどうですか?」と訊かれ、和田は次のように答えている。