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“イト”と“しまんちゅ” 阪神・糸原健斗さんと島本浩也さんを僕がイチ押しする理由

文春野球コラム ペナントレース2019

2019/07/05

 ちょっとご無沙汰してました! 最近、コラムを読んでくださっている方に「次は誰のこと書くの?」とか「あの選手のこと書いて」とリクエストされることもあって、ありがたいです。そんな期待に応えて、5回目の今回は、一気に2人の選手のことを書きますね! 僕にとっては先輩ですが、糸原さんと島本さんの同世代コンビです。

西田直斗の次に33番を背負っている糸原健斗 ©文藝春秋

「僕の33番取らないでくださいよ」

 僕と糸原さんの関係は“遺恨”から始まってるんですよ。勘の良いファンの方なら思い当たると思いますけど、糸原さんに言いたいことは1つだけです! 僕が育成になって、背番号が33から133になったわけですよ。育成契約を結ぶ時に球団の人には「頑張ってこの1を取ってまた33背負えるように」と言われてスタートしたんですけど、次の年に新人で入ってきた糸原さんが、もう33番付けてたんですよね。あれはびっくりしましたよ。1取れるどころか、33自体無いやんけ! オレの33どこいってん! って心の中で思ってて……。

 そしたら、僕の気持ちを察してた中谷さんが「にっしゃん、糸原に言え」ってめっちゃ煽ってきたんですよ。僕もモヤモヤした気持ちがあったんで、糸さんに「僕の33番取らないでくださいよ」と言ったんです。そこから、糸さんとは仲良くさせてもらってるというか、いっぱい喋るようになりましたね。ネタでやってるんですけど、結構、タメ口で喋ることもあって僕が「おい、イト」って読んだら絶対に「イト“さん”やろ」ってツッコミが返ってくるんですよね。それが、いつの間にか、2人が会った時の“つかみ”の絡みみたいになってました。どんだけ糸さんが他の人と話し込んでいて、忙しくても、小さい声で「おい、イト」ってつぶやいたら反応して来ますからね。

 ふざけてばかりじゃないですよ。野球選手としては、僕は糸原さんのことは高校の時から知ってるんですよ。というより「開星の糸原健斗」がめっちゃ好きやったんですよね。テレビでも甲子園を見ていて、糸原さんが高校3年の夏に仙台育英戦の9回にサヨナラの場面で左中間にめっちゃ強いライナーを打ったんですよ。糸原さんも打った瞬間“よっしゃーいけっ”みたいな感じの表情で走ってたんですけど、レフトにえげつないファインプレーされて終わったんですよ。それがすごく印象に残っていて、僕の中では“あの糸原さんが阪神に入ってきた”って感じやったんです。

 プロに入ってからは、よくバッティングのことも教えてもらいましたし、一緒にご飯もたくさん行かせてもらいましたね。勝手な想像ですけど糸さんは僕のこと“こいつおもろいやん”って思ってくれてたと思います。今年からチームのキャプテンを務められて、本当に適任だと思います。糸さんがキャプテンなら、絶対に付いていこうと思いますし、僕の力不足ですけど、1軍で一緒にプレーしたかったですね。そして、一緒にお立ち台に上がって「僕の背番号33を返してください!」って絶叫したかった。それができなかったのが、心残りですね。