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多くの選手は酷使されるうちに矢折れ、刀尽きる

 酷使したからと言ってすべての選手がつぶれるわけではない。岩瀬や藤川、あるいは上原のように酷使に耐え、スーパーマンのように活躍をつづける選手もいる。でも彼らだってすり減っていないわけではない。ただ、元々積んでいるエンジンが尋常ではないから多少出力が落ちても打者を抑えられるということなのだろう。多くの選手は酷使されるうちに矢折れ、刀尽きる。最近の巨人に目を向けても、西村、山口、越智(は病気の影響もあったが)といった名リリーバーたちが30代半ばまでにユニホームを脱いでいるのだ。数シーズンのまばゆいばかりの輝きは、将来使うべきだった力を「前借り」しているという側面も大きいに違いない。

 もちろん、使う側の監督や投手コーチも、酷使している選手に対して申し訳なさを持っていないわけではない。決して「使い捨てにしよう」と思っているわけではないはずだ。

 その証拠に、横浜時代の尾花監督は、投手コーチを務めていたホークスでブルペンを支えてくれた篠原貴行にチャンスを与えた。原監督は第二次政権末期、打たれても打たれても山口をマウンドに送り続けた。その姿は「自分を男にしてくれた投手と心中して何が悪いんだ」と言わんばかりだった。使い潰してしまった選手への一番の罪滅ぼしはやはり「使うこと」という皮肉。愛情、信頼、そして、罪悪感。だが、投手の肩という進んでしまった時計の針を元に戻すことはほぼ不可能で、そういった配慮は結局「介錯」や「引導」という結果になってしまうことも多い。ただ、昨年、33歳で引退した中日の浅尾が「信頼して使ってくださって幸せだった」と話したように、たとえ酷使だったとしても、一瞬でも輝けたとすれば、それは必ずしもバッドエンドではないようにも思える。

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