「好き」の反対は「嫌い」。ん、果たしてそうでしょうか? 「好き」も「嫌い」も対象に向かってある種のエネルギーは発生しているわけで、そこに「熱量」が存在するのは間違いありません。
では「好き」の反対はなにか。それ、多分「無関心」です。対象への「熱量」が果てしなく低い、もしくはノー興味の状態。なにが言いたいかというと、最近『なつぞら』に対して、世間の称賛もツッコミも薄くなってきましたね、という話。『あさイチ』での華丸さん、大吉さんの朝ドラ受けも適当……いや、淡泊になってきてますし。
東京・アニメーター編がスタートして7週目に入ったNHKの朝ドラ『なつぞら』。ではなぜ、ここにきて視聴者の熱量が落ちているのか。
そのひとつの要因が“時代が見えないドラマの世界観”だと考えます。
「やばっ」時代錯誤を感じざるを得ない『なつぞら』の世界観
なつ(広瀬すず)がアニメーション制作会社「東洋動画」に入社したのは1956年で、今はそこから数年が経過。時代性の無さでいえば、なつのファッションや登場人物のメイク、東洋動画内のセットデザイン等もそうですし、じつはせりふの扱いにも「ん?」となる箇所がちょいちょい出現。
たとえば、新作アニメ『わんぱく牛若丸』のキャラクターデザイン決定の日、遅刻が決定的になったなつの「やばっ」という一言や、なにかを断る時の「大丈夫です」という否定の仕方、雪次郎(山田裕貴)が「風車」のカウンター内で作ったロールケーキを食べた咲太郎(岡田将生)の「普通に旨い」の一言……いやいや、昭和30年代にこの表現は使わないべさ。
また、東洋動画内の人間関係も非常に現代的。確かに「仕上課の女性社員は男性社員のお嫁さん候補」といったせりふもありましたが、動画チームで一番下っ端のなつが上司や先輩に同等の立場でモノを言っても誰にも責められない。いくらクリエイターの集団といえど、上下関係も女性が下に見られる環境も、60年前は今よりずっと厳しかったはず。ですが『なつぞら』で描かれるものづくりの世界は、煙草の煙がまったく上がらない室内を含め、いろんな意味で超絶クリーン。
さらに、なつが上京したいと十勝の家族に話した時も、雪次郎が「川村屋」での修業をやめ、役者になりたいと言い出した時も、大人たちがとっても優しい。最後は全員が笑顔で若者の「夢」を後押しする展開からは、当時の「筋」や「常識」「家長制度」の表現が綺麗に抜け落ちている気がします。