”わちゃわちゃ”するアニメ制作現場は現代仕様?
近年の朝ドラで昭和30年代を描いた作品といえば、現在、夕方の枠で再放送中の『ゲゲゲの女房』や、コシノ三姉妹の母をモデルにした『カーネーション』、ヒロインが出版社を立ち上げる『とと姉ちゃん』等が挙げられますが、少なくともこれらのドラマには時代の匂いや当時の常識が描かれていました。
ですが『なつぞら』からはそれが読み取れない。“昭和30年代のテーマパーク”の中で、キャストと呼ばれる人たちが現代の価値観をまとってそれらしい演技をしているように見えて仕方がないのです。
時代感がなく、現代の価値観で物語が展開するため、20歳そこそこのヒロインが日本のアニメ黎明期にあまたの壁を乗り越えながら成長し、誰も見たことがない作品を創るんだ! という、本作の芯となるはずの挑戦もエネルギーも軽くしか伝わらない。その姿は、令和の大学生がバイト先で先輩たちに可愛がられ、わちゃわちゃする図にさえうつります。当時のアニメ制作現場は、ゼロから作品を生み出す情熱や創造者たちの執念が渦巻く“カオス”だったはずなのに。
キャラクターたちの”無駄遣い感”が半端ない
次に考えてみたいのが“サブキャラクターの薄さ”。
『なつぞら』は100作目の朝ドラということもあり、オンエア開始前から歴代ヒロイン再結集! 的な煽りもありました。
過去のヒロイン枠でいえば、なつの育ての母・富士子役の松嶋菜々子と、会社の先輩・大沢麻子役の貫地谷しほり以外、現状、微妙な気もします。特に、新宿でなつが身を寄せるおでん屋「風車」の女将・岸川亜矢美を演じる山口智子は、「演技がロンバケの頃と同じ」「いきなりフラメンコを踊り出す意味が分からない」と、散々な言われよう。また、元ヒロイン枠ではないものの、新宿のクラブ歌手・煙カスミ役の戸田恵子の無駄遣い感も半端ない。このふたりを同じ場所で出すのなら、過去の関係性をもっともっと掘ってほしかった。