人形に魂が宿ったと感じる瞬間がある
19世紀の半ば、写真がようやく一般市民にも手が届くものになったころ、人々は肖像写真の撮影に夢中だった。一定の経済力を持って生きている者はこぞってカメラの前に立ったし、死者だって埋葬される前に、きれいに身なりを整えて撮影してもらうことが多かった。
亡くなった人を撮ったものは「死後記念写真」と呼ばれ、幼い子が写った例もたくさん伝わっている。というのも、医療・衛生面でいまより劣る19世紀には、乳幼児や子どもの死亡率が相当に高かった。不幸に見舞われた親としては、幼い生命が短いながらもちゃんと灯っていたことの証を残し、記憶を胸に刻むために、かわいい姿をかたちにして留めておきたいのは当然のところ。そうした要望に最もよく応えてくれる新技術が、写真術だったのだ。
思えば現代のリボーンドールも、「ここにいるはずだったのに、いない生命」に思いを馳せ、本物そっくりに演出されている。ならばリボーンドールを用いて「死後記念写真」を撮ってみたらどうか。画面に生命の発露が感じられることとなるんじゃなかろうか。
そう考えた菅実花は、リボーンドールを「死後記念写真」の手法で撮影したものを「生前記念写真(Pre-alive Photography)」と名づけ、2018年から制作を続けてきた。画面に生命の宿りがあるとしてもそれはささやかなものに違いないから、事は慎重に進めねばならない。いくら手間がかかろうとも往時と同じ湿板写真の技法を用いるのは当然だし、リボーンドールを着飾らすのにも細心の注意を払って進める。
そういえば19世紀の写真といえば、死者の魂が写真に写り込むとの触れ込みで心霊写真が流行したり、日本では写真に撮られると魂も吸い取られるという俗説がはびこっていた。写真と「魂」が、いまよりもずっと近しい間柄だったのだ。19世紀の技術とスタンス、心持ちで作品づくりに臨めば、写真の中に魂が顕現するかもしれない! と菅実花は考えたのかもしれない。
彼女の試みは成功しているんじゃないか。作品が展示された会場を巡っていると、ところどころで背中がわけもなくゾワリとする。人形しか写っていない画面に、観る側が魂=生命の宿りを感じ取っている証拠なのだろうと思う。
会場になっている原爆の図 丸木美術館は、丸木位里・俊の夫婦が描き残した畢生の大作《原爆の図》を常時公開し、伝え残そうとつくられた美術館。たいへんなスケールで生と死を扱った作品とひとつ屋根の下で展示されることで、菅実花作品もいっそう深みを増しているように感じられる。