あらゆるジャンルのどんな作品も、表現したいものはひとつなのだろうと思う。生命感、それをかたちにすることを希求して人は絵を描いたり、彫像を削ったり、楽器を演奏したり、ことばを推敲したり……。あれこれ繰り返しているのだ。
美術作家の菅実花も、そうした探求者のひとり。彼女は新作で大胆にも、生命の根幹と言えるかもしれぬ「魂」が現れ出るときを捉えようと試みた。その成果はいま、埼玉県・原爆の図 丸木美術館での個展「人形の中の幽霊(The Ghost in the Doll)」で観ることができる。
被写体は「ラブドール」から「リボーンドール」へ
菅実花が最初に注目を浴びたのは、2014年に始めたアートプロジェクト「Do Lovedolls Dream of Babies?(ラブドールは胎児の夢を見るか?)」だった。等身大の愛玩人形=ラブドールをもとに、その女性像が妊娠したと想定してイメージをつくり、大きな1枚の写真にした鮮烈な作品だった。この創作を通して菅は、どこまでが人間でどこからが非・人間かを探った。いわば「人間の条件」を見極めんとしていたのだった。
今回の新作にあたって菅は、メディアとモチーフに関しては前作を踏襲。すなわち写真をベースにした平面作品であることは変えず、被写体にもふたたび人形を採用することにした。
ただし、写っている人形のタイプはずいぶん異なる。ラブドールが若い女性だったのに対して、今回は精巧な等身大の乳幼児型人形だ。「リボーンドール」と呼ばれ、子を亡くした母親や不妊治療に苦しんだ女性が、本物の赤ん坊の代わりに所有することが多いものだ。
展示では、さまざまに着飾ったリボーンドールの写真が、手のひらに収まるようなものと人の背よりも高いもの、大小ふたつのパターンになって並べられている。実在の人間かと見紛うほどの人形のリアルさに息を呑むとともに、写真の風合いが妙に古めかしいのが印象に残る。
なぜそうなっているのか。写真術誕生から間もない19世紀半ばによく用いられた、湿板写真と呼ばれる技法でつくられているからだ。小さいほうの作品が実際の湿板写真で、大きいほうはそれをデジタルスキャンしたうえで大きく引き伸ばしてある。
湿板写真はガラス板に溶液を塗布して、それが乾かぬうちに像を写し取り定着させる。瞬時に撮れる現在の写真とは違って、ときに数十秒の露光時間が必要だ。被写体はそのあいだ、カメラの前でじっとしていなければならない。
ずいぶんと手間がかかるそんな古典的技法を用いて、わざわざリボーンドールを撮影するのは何ゆえか。菅実花がここで挑んでいるのは、「魂は写すことができるだろうか?」という大きな問いである。