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いつ見ても暗い顔をしていたカープ・フランスアはなぜ変わったのか

文春野球フレッシュオールスター2019

2019/07/11

※こちらは公募企画「文春野球フレッシュオールスター2019」に届いた約120本を超える原稿のなかから出場権を獲得したコラムです。おもしろいと思ったら文末のHITボタンを押してください。

【出場者プロフィール】森田和樹(もりた・かずき) 広島東洋カープ 28歳 広島県出身。2013年にlivedoor newsの編集スタッフをしながら、広島東洋カープのコラム執筆を開始。フットワークの軽さを武器に、ドミニカカープアカデミーの単独取材や秋季キャンプのフル日程帯同取材などに挑戦。また、菊池涼介らが行っている静岡自主トレに6年連続で参加し、球拾いの技術が僅かに上達した。現在は文春野球の編集スタッフをはじめ、音楽制作・マネジメント業務など幅広く活動している。

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 人間、きっかけ一つで変わることができる。ただ、なかなかそのきっかけというものに出会うことはない。そこで諦めてしまうか、「まだまだ、ここから」と辛抱できるか。

 カープの新守護神、ヘロニモ・フランスアは後者を選んで、球界を代表する投手へとのし上がっている。

あの頃、フランスアは暗い顔をしていた

 フランスアがドミニカ共和国のカープアカデミーに初めて来校したのは2014年4月22日、アストロズ傘下のアカデミーを退団してすぐのことだった。そこから2ヶ月ちょっとでアカデミー契約選手になり、そして9月には練習生として来日の切符を手にしている。ただ、そこだけ切り取って見ると、一見有望な選手かのように思えるが、当時の期待度としてはそんなに高い選手ではなかった。

 私が初めてフランスアを見たのは同年8月にカープアカデミーに取材したときだったが、正直なところ“細くて大人しい左投げの投手”くらいの印象しかなかった。それもそのはず、現在のプロフィールでは「186センチ、110キロ」となっているが、アカデミーで貰った資料には「186センチ、86キロ(14年6月10日計測)」と記載されている。体重が20キロ以上も違うのだ。もはや別人じゃないか……。

カープアカデミー契約選手時代のフランスア ©森田和樹

 また、練習生として秋季キャンプに参加することが決まっていたため、軽めのインタビューをさせてもらったのだが、「アカデミーの練習はどう?」の質問には「ちょっとしんどい」、「自身のアピールポイントは?」の質問には「変化球」と笑み一つ見せず答えていた。そんな投手が、まさかここまで大化けするなんて思ってもみないだろう。158キロを投げるようになるなんて……。

 性格面でも、日本で成功するタイプとはちょっと違うのかなと思っていた。まず、真面目ではあるが、わりとネガティブ思考だった。15年の春季キャンプで故障離脱したことも影響していたが、常に暗い顔をしていたし、アカデミーで指導していた古澤憲司さんも「すぐに『痛いから投げられない』って弱音吐くからダメだね」と厳しい評価を下していた。同じカープアカデミー出身のサビエル・バティスタやアレハンドロ・メヒアが陽気なクラスの中心的存在だとしたら、フランスアは教室の隅っこにいるおとなしくて目立たない存在。「あー、そんな人いたね」みたいなタイプだった。

古澤憲司さんに牽制を教わるフランスア(左) ©森田和樹

 その後も印象は変わらないまま月日だけが過ぎ行く。腕を下ろしてみようと変則フォームを試みたこともあったが、結果を残すことはできず。四国アイランドリーグplus・高知に派遣されても、フォアボールばかりでパッとしない成績(1勝5敗、防御率4.43)だった。何をやってもうまくいかないし、日本のご飯は口に合わない。その上、自分より後に来日したバティスタとメヒアが一足先に育成契約、そして支配下登録を掴み取った。一方で自分は相変わらず練習生のまま。本人もモチベーションの置きどころに困っていただろう。

 それでも、フランスアは諦めることなく、この先に希望があると信じて努力を続けた。