昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

2019/07/11

育成契約から短期間で“頼もしいセットアッパー”へ

 風向きが変わったのは17年の秋季キャンプだった。力強い球をバンバン投げて、一軍の首脳陣に成長を見せつけると、翌18年の春季キャンプでもしっかりとアピールに成功。そして、初来日から約3年半が経った3月、念願の育成契約を手にしたのだ。

 ただ、この時点では後に一軍で活躍するなんて1ミリも予想していなかった。クラスの目立たなかった存在が、文化祭みたいなイベントで一瞬だけ脚光を浴びる感じだと思っていた。

 しかし、現実は違った。これまでと立場が変わり、モチベーションがぐんと上がったのだろう。いわゆるターニングポイントというやつだ。育成契約の喜びを糧に、その2ヶ月後には遂に支配下選手に。そして、あっという間に一軍昇格を掴むと、“手薄だった左のリリーフ枠”、さらには“頼もしいセットアッパー”へと成り上がるまで、ほんの数ヶ月の出来事だった。

 数年前、あんなに暗い顔をしていたのが嘘のように、マウンドの上には生き生きとした表情で投げているフランスアがいた。何かあるとすぐに弱音を吐いていたはずなのに、3連投なんてお手の物。「連投も大丈夫」なんて言うキャラでしたっけ……。

 シーズンを終えてみれば、47試合に登板して、3勝4敗1セーブ19ホールド、防御率1.66。チームの3連覇に大きく貢献したと言ってもいい活躍を見せたのだった。

 あの頃のクラスの隅っこにいたフランスアはもういない。バティスタやメヒアに比べたらまだおとなしいけれど、試合後に焼肉屋でインスタライブをしている日もある。スペイン語だったから何を言っているかまではわからなかったけど、心から楽しんでいることだけは伝わってきた。そして、ドミニカでは見せなかった明るい顔をしていた。

 人は変わることができる。一度自信をつけたら、あっという間に変わることができる。

 今、長年守護神を務めてきた中崎翔太が不調に陥り、そのバトンがフランスアに渡された。支配下登録からわずか1年という期間で、守護神を任せられるまでになったのだ。これは中崎の調子が戻ってくるまでの一時的な措置とのことだが、フランスアにとって、さらに変わることができるチャンスかもしれない。

 そう、「まだまだ、ここから」なのだ。

フェリシアーノコーチに指導を受けているフランスア ©森田和樹

◆ ◆ ◆

※「文春野球フレッシュオールスター2019」実施中。コラムがおもしろいと思ったらオリジナルサイト http://bunshun.jp/articles/12770 でHITボタンを押してください。

この記事の写真(3枚)

HIT!

この記事を応援したい方は上のボールをクリック。詳細はこちらから。

ツイッターをフォローして最新記事をいち早く読もう

文春野球をフォロー