好きになったチームは恐ろしいほど弱かった
実際にプレーしてみてわかったことは、大洋がものすごく弱いチームだということだ。選手カードの能力は前年1981年のデータが反映されている。この年の大洋は42勝80敗でダントツ最下位。優勝した巨人とは31.5ゲーム差。5位の中日にすら15.5ゲームも離されていた。チーム最多勝は遠藤の8勝。最高打率は長崎の.292。カードゲームでも最下位が定位置で、せいぜい5位がやっとだ。
しかし1982年の現実世界のプロ野球は少し違った。大洋は順位こそ5位だったものの、斉藤がセーブ王、長崎が首位打者を獲得。遠藤も14勝を挙げた。この年、TVKで中継されたホームゲームはほとんど見たと思う。現実のペナントレースと、架空のカードゲームが絶妙にシンクロして、選手の特徴や野球の知識が自然と頭の中に入ってきた。
ちなみにこの年のセ・リーグを制したのは中日だった。勝利数は2位巨人の方が多かったが、引き分けの分、中日が勝率で上回ったのだ。巨人ファンとなっていたサカイ君は「ズルイ」と不満そうだったが、コデラ君は「ルールはルールだから」といさめた。そして貯金をおろし、僕らにトンカツをごちそうしてくれた。「約束は約束だから」と、いかにもコデラ君らしかった。
カードゲームでは勝敗以外の記録もつけるようになり、打率や防御率の計算もした。優勝争いから脱落しても、個人タイトルに楽しみを求めた。相手と利害が一致すればトレードも行う。一時期、わがホエールズのローテーションに大野豊が加わったこともあった。
過去年度のカードにも興味を持つようになった。ほんの少し前まで松原誠という大打者がいたこと、平松が球界を代表する投手であること、三振王の田代が過去に3割30本を打っていたこと。中塚や高木嘉一も素晴らしかった。
「今はこんなに弱いけれど、全盛期のメンバーが集まったら優勝できるじゃん!」。時空を超えたラインナップを組んでは、一人でニヤニヤした。チームへの愛着は日に日に増していく。強いとか弱いとかいう問題じゃない。もはや横浜大洋ホエールズは僕のチームなのだ。
もしも今、あのカードゲームがあったなら
終焉は突然やってくる。いや、最初からわかっていたことだ。文科系野球部は高校卒業をもって解散した。卒業式の日に最後のプレーを楽しんだ。「これでおしまい」と少し寂しくなったことを覚えている。大学2年までは下宿仲間と遊んだりもしたが、その回数も徐々に減っていった。中継はよく見ていたから、野球熱が冷めたわけではない。関わり方が少し変わっただけだ。
大洋のカードは、過去も合わせて8年度分くらい持っていたと思う。しかし引っ越しのたびに紛失し、今は手元に一つも残っていない。調べてみると1998年まで販売されていたらしい。奇しくも横浜ベイスターズが優勝した年だ。前年のベイスターズは2位だから、歴代最強のチーム構成だったはずだ。買っておけばよかったと悔やまれる。ヤフオクで検索してみると6250円で落札されていた。
今はスマホのアプリで、選手の動きを忠実にトレースした野球ゲームがたくさんある。しかし僕の中で、リアルさでタカラのプロ野球カードを超えるゲームはない。もし今、あのプロ野球カードがあったら。筒香は、宮﨑はどう表現されていただろう。そんなことを想像するだけで楽しくなってくる。
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