令和の皇后となられ、ご成婚時の輝くような笑顔を、取り戻されつつある雅子さま。
新皇后の半生を徹底取材した決定版『皇后雅子さま物語』(文春文庫)から、新皇后の「あゆみ」を特別公開します。 

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厳戒態勢での”初デート”は清々しい朝の鴨場

 宮内庁新浜鴨場(千葉県市川市)の正門。高さ約3メートルの鉄扉が、左右にゆっくりと開いた。その時、運命は大きく動き出そうとしていたのだった――。鴨場は主に11月中旬から翌年の2月中旬までの鴨の狩猟期間に、駐日大使や国会議員を接遇する場所として使用されている。この年(1992年)、期間前の10月3日に正門が開いたのは、異例のことだった。

マクロン仏大統領が来日し、天皇皇后両陛下と面会 ©AFLO

 雅子さんが皇太子殿下とお会いするため、一足先に到着したのは、午前9時過ぎ。秋晴れの清々しい朝だった。元溜(もとだまり)といわれる池(約1万2000平方メートル)には、野鴨など1万羽以上の渡り鳥が越冬のため飛来するという。この日も池には鴨が泳ぎ、太陽の光が反射して、水面はきらきらと輝いていた。水辺には手入れが行き届いた松が植えられ、空には野鳥たちのさえずりが聞こえていた。

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港区立麻布保育園行幸啓 ©JMPA

 雅子さんが乗っていたのは、仲介役の元外務次官・柳谷謙介氏が運転するマイカーだった。後部座席の雅子さんの隣には、柳谷氏の妻が座り、一見、家族のようにカモフラージュされている。宮内庁職員が運転する車に先導され、2台の車は土曜日の朝の閑散とした道路を走り抜けて到着した。

「殿下は午後からテニス」用意周到なカモフラージュ作戦

 一方、皇太子は午前9時に東宮仮御所をご出発された。このことは、宮内庁幹部と身の周りの世話をする内舎人の数人しか知らなかった。“雅子さんプロジェクト”は、情報管理による秘密保持が最重要であり、この日の“デート”もマスコミに絶対に知られてはならなかった。この日は宮内記者に「殿下は、外出など特別な用事はなくゆっくりと仮御所で過ごされる」と予定を発表していた。

東宮仮御所にて婚約記者会見 ©JMPA

 実は1カ月半前の8月16日、皇太子と雅子さんが柳井氏宅で5年ぶりに再会したときも、菅野弘夫東宮大夫は「殿下は午後からテニス。外出される予定はありません」と発表した。実際に再会の場へ向かう車にテニス用具を持ち込むほどの用意周到ぶりだった。

 秘密保持は対マスコミだけではなく東宮職員に対しても徹底していた。この日も、日中だれもいない皇太子の部屋にラーメンや果物を運び込んで、あたかもずっと在室しているかのように偽装する念の入れようだったという。

「皇太子の食事時間は決まっているので、この日は支度をする大膳課に時間の変更を事前に報告していたようです。当日急に夕食が遅くなると、外出したことが知られてしまうため、注意をはらったようです」(宮内記者)