7月24日にイギリスの新首相に就任したボリス・ジョンソンが若かりし頃――1993年のことだが――私はニアミスしたことがある。

 当時欧州委員会の内部シンクタンク「未来工房」で専門調査員として働いていたのだが、そこに英テレグラフ紙のブリュッセル特派員だった彼がインタビューに来たのだ。相手は、その頃強力な委員長として君臨していたジャック・ドロールの政策顧問のなかで、宗教問題を扱っていた同僚だった。

いわゆるフェークニュースのはしりを実践

 当時のドロールの官房チームは、冷戦終結直後のヨーロッパを欧州連合(EU)を中心に組織化していこうと意気込んでいた。大きな声では言わなかったが、その基底にキリスト教的な価値観をもちこみ、EUの正統性の足しにしようと考えていた。宗教担当の同僚はその作業を担っていたのである。

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 しかし、出来上がった記事は、ドロールとその最側近たち――もちろん同僚本人も――が激怒するものだった。それは、《聖なるジャックが神々しいヨーロッパを創設中》といった類の記事。反EUの彼らしい、面白おかしくも不正確な切り貼りに満ちた政治的な挑発だった。他にも《ドロールがヨーロッパ支配を計画》といった記事を配信し、いわゆるフェークニュースのはしりを実践していた。あわれにも、その同僚は、ドロールの官房から謹慎処分を下された。

イギリスの新首相に就任したボリス・ジョンソン。かつては、保守系日刊紙「デイリー・テレグラフ」の記者を務めていた ©getty

 あれから四半世紀余り。ボリス・ジョンソンは、ロンドン市長や外相を経て、イギリス首相に上り詰めた。7月23日の保守党首選にて対抗馬のジェレミー・ハント外相に大差で勝ち、翌24日女王に呼ばれ、念願のポストを手に入れた。EU離脱派が勝利した国民投票からはや3年。このままでは、イギリスは「失われた10年」の色彩が濃厚である。

ジョンソン首相の誕生が意味することは?

 なぜ、このようにこじれてしまったのか。3つに分けて論じよう。1つは、やや時計を巻き戻し、そもそも3年前の国民投票で、どうして離脱派が勝利したのか。これはまだ明確な答えのない問いである。2つ目は、3年もたってなぜ、まだ離脱ができず、イギリスはのた打ち回っているのか。仮にも、議会制民主主義の母国として、ながらく政治的に尊敬されてきた国である。当然、説明を要するだろう。最後に、このジョンソン首相の誕生が意味することを整理し、今後を展望したい。