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 そうしたなか、EU域内の人の移動の自由を制限し、EU単一市場には加わらないと宣言してしまった。そうでありながら、他方で、メイ政府はEUと、厳格な国境管理を避けることで原則合意した。のちに締結された合意協定案には、「代替的な取り決め」にいたるまでのあいだ、イギリスはEUの関税同盟内にとどまるという、いわゆる「バックストップ(安全策)」が含まれたが、DUPはもちろん、それを不服とする保守党内勢力の反発を招いた。要するに矛盾するレッドラインの発言を連発し、自分で自分の首を絞めたのである。

 のみならず、党内・議会内の合意のめどが立たないのに、EU離脱のデッドラインを2019年3月末に設定し、結果としてそれは守られなかった(現在のところ、10月末にまで延期されている)。

テレーザ・メイ前首相 ©getty

「離脱しつつ接近」という道は採らなかった

 より根本的なこととして、52対48という2016年の投票結果を、まるで52が100かのように扱ったことも、おそらく中長期にわたり国民統合を難しくした。彼女が首相になって口にしたことの一つが、「ブレグジットはブレグジット(実際にEUを離脱すること)を意味する」だった。それはその限りで無理からぬところはあるが、他にもやり方はあったろう。

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 例えば、1994年の国民投票でノルウェーが、奇しくも52対48という同じスコアで、EU加盟を拒否した際、当時の同国首相ブルントラントは、それを「二重授権」と解釈した。つまり、52で多数を占めたのだからEU加盟はしないけれども、48の声があるのだから、できるだけEUに接近する、というものである。その方針に従い、ノルウェーはいまなおEU未加盟だが、参加料を支払い、欧州司法裁判所の判決におおむね従っても、EU単一市場に参加し、くわえて人の移動をつかさどるシェンゲン協定にも加わっている。

 可能性の芸術としての政治は、そうした道をも選択肢の一つとしたはずだが、メイは「離脱しつつ接近」という道は採らなかった。

 メイの行動が了解可能だとすると、それは離脱に強い思いを持つUKIPの票を取り込みながら、総選挙において一人区(勝者総取り)の選挙区を勝ち抜かねばならなかった点にある。それにもまして、保守党内、特に底辺の支持層が離脱に傾くなか、右に寄り党内融和に努めなければならなかった。自身が残留派だった分、離脱するとの立場を強調する必要もあったろう。それでもメイは、EUとの合意まではたどりついたものの、結果的に、断片化した議会で多数を得られず、離脱を達成できなかった。

議会でどのように多数派を形成していくのか ©iStock.com

 新首相ボリス・ジョンソンは、そうした議会・党内状況を、おおむね、引き継ぐことになる。つまり、内戦状態に陥った少数与党にあり、DUPの支持を必要とし(つまり北アイルランド問題で容易に妥協できず)、議会の多数派形成が難しい情勢である。そして、右側に(UKIPの代わりに)英国離脱党がいて、その票をジョンソンは取り込む一方、左側に左傾化したコービン党首率いる労働党がおり、その統治理性のなさを自党に有利につなげたい。