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イギリスは「失われた10年」を迎えるのか? 新首相ジョンソンめぐる3つの論点

――ボリスの隘路

2019/07/24
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3年前の国民投票で、どうして離脱派が勝利したのか

 まず3年前の国民投票では、72%を超える高投票率のもと、52対48で離脱派が勝利した。これにいたる過程で、離脱すれば国民健康サービスが充実するなどのフェークニュースが飛び交い、その一端を当時キャンペーン責任者だったこの新首相が担っていたのはよく知られる。僅差だったこともあり、世論は深く割れ、二大政党内も分裂した。

 そうしたなか、離脱派が過半を占めたのは、単一の理由や勢力によるものではない。それは、やや単純化すると、3つの要素の結合による。

 その第一は、移民。この要素を抜きにブレグジット(EU離脱)への世論の盛りあがりは説明できない。ただし、これだけでは過半に届かない。この争点に最も執着した当時のイギリス独立党(UKIP)は、一番得票した2014年欧州議会選の時ですら、投票率約36%のもとで27%ほどを取ったにすぎない。やはり、主要政党の支持層がごっそり動かない限り、52%の数字にたどりつかない。

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 その点、第二に、主権(自決)意識が大きい。これは、(特に田舎の)保守党支持層に響く争点だ。1980年代末以降の統合の進展は、イギリスがEUの首都であるブリュッセルの支配のもとにあるという感覚をこの層に植えつけた。それは、自国のことは自国で決めたいとする反発を生み、1975年の最初のEU(当時はEC=欧州共同体)加盟を問う国民投票で賛成票を投じた保守党の地盤が離脱に振れた。

 さらにとどめを刺した第三が、労働者の疎外感である。これは労働党の支持層をも動かした。実質所得が伸びないなか、EU統合やグローバル化はエリート支配・利益と同義に映り、見捨てられた感覚を強めた。これらの感覚は、少しずつ客観的な事実と異なるのだが、折り重なり合うようにうねりをなし、離脱派の勝利に帰結した。

なぜ3年もたって、まだブレグジットできていないのか

 では、なぜ3年もたって、その結果を現実のものとして達成できないのだろうか。それは、根本的には、世論や議会、そして何より与党が割れていることによる。互いに相容れない諸勢力がぶつかり合い、リーダーシップの弱さ、稚拙さも手伝って、決められるはずの議会が決められず、国民投票の宣託であるEU離脱という方向性に、立法のかたちを与えられないままでいるのだ。

 この3年間首相として離脱に向けて舵を取ったのは、テレーザ・メイ前首相だった。その指導力は控えめに言っても弱く、いくつかの面で裏目に出た。前言を覆し2017年6月に総選挙に打って出たものの過半数割れし、イギリスとの統一を党是とする北アイルランドの民主統一党(DUP)の閣外協力を得てやっと統治してきた。それが、アイルランドと北アイルランドとの間の国境の在り方をめぐり、EUとの妥協を難しくした。