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ピケの過激な問題提起「メディアなんて必要ない」を考える

バルセロナのスターが生んだ波紋

2017/02/07
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現在、選手と記者の接触時間は15分間

 かつては選手と記者が近づきやすい環境が整っていた。

 欧州のクラブは、英国を除けば(英国人はいつだって独自の道をいく)たいてい練習をメディアに公開していた。選手と記者は、週に何度も顔をあわせることができたのだ。

 スポーツ新聞の記者や、テレビやラジオのレポーターは練習場に行き、翌日の記事や、次の放送のことをあれこれ考えながら練習を眺め、終わるとお目あての選手に近づいていった。

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 選手がロッカールームへと向かう道や、メルセデスやBMWがずらりと並ぶ駐車場の一角、あるいは遠征の道中は、記者にとってかけがえのない、貴重な接触の場所だった。バルセロナやレアル・マドリーという、欧州サッカーを代表するビッグクラブがそうだったのだから、中小クラブといえば取材規制などないようなものだった。そこには日常が築いてくれた信頼関係があった。

 しかし今では多くのクラブが練習を非公開にしている。バルサのように、遠征の際のチャーター機同乗を認めないクラブも増えた。話をしようにも、接触そのものが不可能だ。

©豊福晋

 ピケは「今はほとんど記者との接触はない。記者会見と練習の15分間(メディアに公開されるのは冒頭15分だけ)で目にするだけだ」という。

 ピッチ内外でモダンなメソッドを取り入れた新時代の監督たち、グアルディオラやモウリーニョは、練習を非公開にし、記者との接触遮断を進めた。今では1日だってまともに練習を見ることはできない。冒頭15分間公開となっても、その間に拝めるのはストレッチとゆるいボール回しくらいだ。

 これはグアルディオラが残した数少ない負の遺産だろう。バルサの黄金期を築きあげたことで“ペップ流”が一斉を風靡し、多くのクラブや監督が彼のやり方を模倣するようになったからだ。

「今のメディアは速報性ありきで、裏を取らない」

 ピケは、クラブや監督がメディアと選手を遠ざけようとする理由のひとつは、「スポーツに関係のない、過激な報道をするメディアの存在があるから」だという。彼自身はシャキーラと結婚したこともあって、他の選手よりゴシップの対象になりやすい。クリックさせるためだけの派手なタイトルを置いた、中身は薄っぺらいネット記事の中にピケが登場することも多い。

「今のメディアは速報性ありきで、情報の精度や信憑性が二の次になっている。これが現在のジャーナリズムの最大の問題だ。抜くことばかりを考え、裏を取らない。賭けのようなものだ。数を撃つわけだから、時には当たることもある。でも誤報だったとしても、そんなことはすぐに忘れ去られて、さあまた次、となる。悲しいけど、これがいまの報道の姿なんだ」

 真摯に取材する記者がいるのは知っている、と彼は認める。しかしピケが今後、特定の記者と親密になることは考えにくい。そうする必要もない。彼のスタイルを見た若手は、自分も同じやり方でいこうと考えるだろう。メディアをシャットアウトするというグアルディオラやモウリーニョの方針に、多くの指導者が追随したように。

 クラブにとっては、選手のメディア露出をできるだけ少なくし、一方で彼らの肉声をクラブ公式SNSや公式テレビチャンネルで独占配信するようにすれば、フォロワーは増え、ブランド価値は上がる。

 クラブと選手が完全にメディアを拒絶することはないだろうが、欧州サッカー界がこの方向に進んでいるのは間違いない。

 この傾向が加速すれば、スポーツメディアは生き残っていけるのか。

「大事なのは柔軟に対応し、時代が求めるものに適応していくことだ。メディアは変化に一番対応できていないし、時代についてきていない。紙からデジタルへの移行すらもたついている。情報伝達はこれから明らかにデジタルになるというのに」

 ピケのストレートで辛辣な言葉の数々を、メディアに対する宣戦布告、とした人もいた。

 しかしそうではない。

 彼は現代ジャーナリズムのあり方に警鐘を鳴らし、既存メディアにこれから先の生き残る道を示唆したのだ。

©getty
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