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「ケガの深刻さは球速に比例する」大船渡佐々木の登板回避に元プロ野球エース2人は一定の理解

大船渡・佐々木問題を考える #2

source : 週刊文春デジタル

genre : エンタメ, スポーツ, 社会

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高校時代、同様の経験をした遠藤一彦氏の意見は?

 “伝家の宝刀”フォークボールで最多勝を2度獲得した遠藤一彦氏(64)も、今回の佐々木投手と同様の経験をした球児の一人だ。学法石川高(福島)のエースで4番だった遠藤氏は、1977年にドラフト3位で横浜大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)に入団。通算134勝128敗58セーブの成績を収めた。

「3年生の夏の福島大会は決勝までいきました。しかし、やはり準々決勝、準決勝と延長戦を投げていまして、決勝戦前に監督から突然『先発は2年生投手で行く』と言われたんです。ただ、私はこれが最後ですから、『すみません監督、投げさせてください』と直訴すると、監督は私の意をくんでくれて先発で投げさせてくれました。試合は1-2で敗退。けど、私としては悔いはなかった。勝てなかったのは自分の力のなさですから。心残りがなければ、私はいいんじゃないかと思います。

遠藤一彦氏 ©文藝春秋

 投手の“痛い”“違和感”というのは本人にしかわからないので、監督の判断は正しかったと思います。ただ、佐々木君の『投げたかった』というコメントがあるように彼の気持ちの中でどうだったのかなっていうことは思いますね」

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 一方で遠藤氏は、佐々木選手が打者として試合に出ていたら、展開は変わったかもしれないと指摘した。

「彼は4番を打つバッターでもあるわけじゃないですか。そういう面ではどこか守りながら打撃の面でも出場ということもできたかなと思います。やっぱりみんなで甲子園を目標にやってきて、ベンチではなく佐々木君がグラウンドにいるだけでチームの雰囲気も違ったかもしれませんね」

「ケガの深刻さは球速に比例する」大船渡佐々木の登板回避に元プロ野球エース2人は一定の理解

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