令和の初となる甲子園は、最速163キロ右腕の大船渡高校・佐々木朗希(ろうき・3年)投手の独壇場になるかと思われた。だが、岩手県大会決勝を肘の違和感から登板回避。「令和の怪物」の夏はあっけなく終わった。賛否両論の声が上がる今回の騒動をプロはどう見たか。
まずは、浪商高(現・大体大浪商高)のエースとして、”ドカベン”こと香川伸行氏(故人)とバッテリーを組み、3度の甲子園出場を果たした牛島和彦氏(58)に聞いた。牛島氏は1979年にドラフト1位で中日ドラゴンズに入団。通算53勝64敗126セーブの成績を収めた。
「当時は僕も仲間も甲子園に行きたいから必死でした。春の選抜の延長戦で200球くらい投げて、翌日はバテバテになって体が全然動かなくなりました。そうなると体がしんどくなりますよね。体全体に張りがあって、全身筋肉痛みたいな感じで投げてましたけど、それが当たり前でしたから。僕なら投げていたかも知れない」
牛島氏は2005年からの2シーズン、横浜ベイスターズ(現・横浜DeNAベイスターズ)の監督も務めている。その経験から牛島氏は、大船渡・国保監督の采配に理解を示す。
「佐々木君は細身ですけど、ダイナミックに足をあげて体全身を使っているからあれだけのスピードを出せる。でも、160キロの球を投げれる分、当然ケガもそれに応じて深刻になるんですよ。やはりあれだけの素材なので、『肘がおかしい』と言われたら、私も投げさせていないかもしれないですね。仕方なかったかなという気がします。佐々木君自身は、試合に出れないのはしんどいと思いますし、仲間に申し訳ないという思いも強かったとは思いますが……」